書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

猫よ、何を望むのか

我が家の愛猫、ご飯担当が娘なら、水担当は私です。娘の誕生日のお祝いに、保護施設から譲り受けた子なので、娘がご飯をあげています。推定年齢5歳ぐらいで我が家に来て、もう7歳。来た時に鼻風邪を引いてしまったと伝えられたけど、それからずっと鼻の調子が悪いので、これはもう風邪とかのレベルではないなと思いつつ、今ではそんな鼻息も愛らしい。どこにいるかすぐ分かるし。

大きな病気の元かと思ったけれど、今のところ大丈夫そう。外に出さずに屋内飼育なので、今までの子達よりは長生きしてほしいなぁ。時々逃げられるけど。

すごく人懐っこく、初対面の人にも大変可愛がられます。その懐っこさに惚れて譲り受けたのですが、問題行動もあります。外に出るとどこまでも突き進むのです。あるときは、参道の階段を降り、300mほど進んだところでたまたま出かけた娘に発見されました。これ、絶対家に帰って来れなくなるタイプだ。

明らかに人に飼われていた形跡があるんですよ。全然人を怖がらないんです。きっと大事に飼われていたと思うのですが、ある日こうして外に出て、帰れなくなったんじゃないかと想像してしまいます。

ま、保護されたのは市役所で、随分長いこと市役所にいたそうですから(来庁者と一緒に自動ドアをくぐり、職員によって外に出されるというのを繰り返していたと聞きました)、居たいところにはずっと居るという姿勢が読み取れます。やっぱり捨て猫なのかなと思い直すのです。

水担当の私の元には、ご飯どきももちろんねだってきますが、喉が渇いたタイミングでもねだってきます。黙って後ろをついてくるんです。私がマグカップに水を汲んでいると、それをジッと見上げているのです。

そこまでするときはほぼほぼ水が欲しいときなので、水をあげます。器には常に水が入っているのですが、よそいたての水をご所望なのです。たとえさっきよそったばかりであっても、新たによそった水をご所望なのです。

蛇口をひねれば水が出る国だからいいけれども、井戸に汲みに行く世界では、それはちょっと無理な要求だぞと思いつつ、無言の要求に屈しています。

そんな彼が、今日は水をあげてもあげてもねだってきます。ご飯も入っているし、水も新鮮だし、一体何を望んでいるのかさっぱり分かりません。今日はそういえば遊んであげていないから、遊び足りないのかと思うのですが、今日は忙しかったから遊べなかったのであって、まだ遊べる時間でもないのです。我慢してくれ。

遊ぶと言っても、何かを追いかけまわすというよりは、お腹を撫でて欲しいとか、そういう気持ちの方が強そうです。お腹撫でると後ろ足で蹴ってくるんですけどね。爪たてて。挙句に前足で捕まえにきます。爪たてて。

常に爪は立てた状態で接触してきます。これさえなければ完全に気を抜いて戯れ合うことができるのですが、その爪を甘んじて受け入れている師匠のTシャツは、爪によってほつれた箇所が大量です。お出かけにはもう着れませんよ。

捨て猫だったのかもしれない、という思いは常にあって、人間に不信感を抱いていないかとか、気になります。そんなそぶりは一切見せず、ひたすら甘えてきますけど、でもそれは、二度と裏切られたくないという気持ちの表れなのではと、そんなことまで考えてしまいます。

だからそばを通る時には愛情表現を欠かさないようにしていますが、どれだけ通じているかなぁ。我が家での生活が、幸せなものでありますようにと、そればかり願っています。

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