ミュージシャンの作る映像で一番の好物は、楽曲の制作過程を撮影したもの。アルバムの特典映像についてきたり、テレビ局が撮影したりもしますね。
どの映像を見ても好きなのは、やっぱりMr.Children。元々ファンであることに加えて、楽曲を作るという行為へかけるひたむきさがとても好き。尋常ではない(と思える)時間のかけ方。それもただ1人が突っ走っているわけではなく、全メンバー、さらにはスタッフまでも、突っ走っているのが伝わってくるんです。
どう考えても体に悪いほどの打ち込み様。でもその情熱の傾け方は、単純にすごいなという感情を超えて、羨ましいという感情すらも呼び起こします。
何が羨ましいのか。自分で曲を作るわけでもない私が、何を羨むのか。
分からないんです。ちょっとは分かるんですけど、それだけじゃ説明がつかないというか。とても不思議な感覚。
時々、お経のCDを求められることがあります。販売されているものもあるので、確実の曹洞宗のものを買ってもらえるように案内もするのですが、「そうではなくて、和尚のが欲しい」というリクエストもあるんです。永平寺で収録したものとか存在していますが、遠い存在ではなく、自分の菩提寺の住職のお経が入ったものが欲しい、と。
声質一つとっても自信を持っている要素など何一つないのですが、こう言っていただけることは住職冥利に尽きます。でも、これはなかなか難しいリクエスト。お経を1人で読んでいると、息継ぎが発生します。歌ならは歌詞の合間に息継ぎができますし、息継ぎすらも表現の一つと言えますが、お経の場合は、毎回同じ場所で息継ぎが発生するというのは聞きづらいのではないか、と。
複数人で読めば息継ぎ問題は解決できますが、しかし、菩提寺の住職のお経、という一番大事なポイントはぼやっとしてしまいます。
昨日の深夜に大好物の曲作り映像を見ながら思ったのは、こうやってお経も収録したらいいんじゃないか、と。
木魚と磬子(ゴーン。字は本来もの字ではありません)、そしてお経の声、それらを全部別撮りして、納得いくものが録れるまで録音を繰り返して。それをDTMソフトでがっちゃんこすれば、息継ぎのないお経が出来上がります。
やってみようかな。マイクがお寺に今あるマイクではちょっと難がありそうなので、品薄だけど評判の良いオーディオテクニカのポッドキャスト向けマイクを買って。でも磬子の音はあのマイクよりももっと音を拾うマイクの方が良いのか?まあ、録ってみてから考えればいいか。
締め切りのある話ではありませんから、せめてマイクが手に入ってから、のんびりと取り掛かってみましょうか。
1人の声がずっと聞こえる、それを録音して聞いてもらうというのは、実際のところとてもハードルが高いこと、というのは忘れちゃいけません。本堂で何人かで読んでいるものを録音した方が、音質は悪くとも、繰り返し聞く音声としてはハードルが低いのです。
マイク近くで声を出せば、普段は意識しないような細かな音まで聞こえてきます。不快な音も混じります。それらを取り除くにはソフトウェアへの追加投資も必要ですし、取り除いたことで音質が悪くなってしまい、録り直しも発生します。プロでも複数回繰り返す作業を素人がやるのですから、果てしなく長い道のりです。
ミュージシャンのCDとか、ラジオ放送とか、とても高度な技の集合体なのですよね。プロでもない方がPodcastを配信していて、それが「聞きやすい」という場合、それはとてつもなくすごいことなのですよ。
私もPodcastやってみたいし(相変わらず何喋っていいか分からない)、お経の録音というのは良い練習になりそうです。いつまでも完成しないかもしれませんが、練習ですからね、完成したらもうけものです。
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