私は自分が頼られない人、だと思っています。学生時代の友人とのつながりが濃い時でさえ、相談事というのを受けた記憶がありません。
自分もまた、誰かに相談するということはとても少ないです。住職としてお寺を経営していくうえでどうにも分からないことは聞かなきゃしょうがないですが、個人的なことについて誰かに相談するなんてことは。
そういう意味では、結婚を機に、相談する相手ができたことはとても良かったと思っています。僧侶の妻帯については、独り身でいた方が修行に集中できることは確かなことですが、現代を生きる住職にとっては、人によっては必要なことかもしれない、という思いも出てきました。本山での集中修行期間を経ても、変わることのない人間性というのはあるものですからね。
ただ、今までそうして頼り頼られという経験があまりに少なかったため、「頼っても良さそうオーラ」が全然出ていないんだと思います。
相談しやすい人というのは、そのオーラが出てると思うんですよね。一体どうしたらこのオーラを出せるのか。
青年のうちなら、友人たちといろんな相談事があったはずで、そうした経験がオーラを作り出すのだと思うのですが。
修行中も色々あったはずなのに、なんでだろうか。一番打ち解けた修行仲間は早逝してしまったし・・・そろそろお墓参り行きたいなぁ。新幹線で片道4時間はなかなか遠いですけれども。
今の時代は相談をするにしても、各専門分野の人に相談をできる体制が整っていますから、和尚が頼られる状況はさらに少なくなっています。でも、皆無ではないと思うのです。どこに専門家がいるのか、そもそもこれはどこに相談したらいいのか、そういう悩みを抱えた人を、専門家のいる分野であればそこに繋ぐというのも、地域密着寺院の役割だと思うのです。
そうか。私の方から檀家さんにどんどん頼っていけばいいのかな。そういう和尚の方が、かえって相談しやすいのかな。
悩みがない人ばかりなら、それはとてもいいことですが、そんなわけないですものね。
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