書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

もう一つの晋山結制

今年は晋山結制の当たり年?再来週末には教区のお寺さんで修行され、秋にも私が随喜するだけで2ヶ寺。その他、宗務所管内でもう2ヶ寺。全159ヶ寺の宗務所ですから、稀に見る多さといっても良いでしょう。

その中の3ヶ寺に随喜する私もなかなか珍しい属性とは思います。縁というのはありがたいものです。首座探しをしているそちらの縁にはなかなか恵まれませんが・・・

今日の秋に予定しているお寺さんでの習儀(練習)に参加して来ました。教区のお寺さん以外はどちらも受付関係なので、ぶっちゃけ習儀に参加しなくても良いのですが、今回は特別。息子が3度目となる弁事を勤めるのです。2度目が再来週なので、実際にはまだ1度しかやってないわけですけれど。

晋山結制の習儀は、首座さんの練習がメインになりますが、随喜寺院にとっても現場合わせの動きの確認などもあるので、なかなかに重要。弁事も、「そこにいる」というのが重要になったりしますし、顔見せの意味合いもあるので、勇んで連れていきました。

最初に弁事を勤めさせてもらった時と思うと、父親の側もだいぶリラックスしていますね。自分でそのことがよく分かりました。周りの和尚さんにお任せしておけば大丈夫と思えるほどには。

首座のサポートには書記という役の和尚さんが付くのですが、私が首座をした時に書記としてサポートしてくれた大先輩が、弁事である息子のそばについてくれて、ジーンとしてしまいました。ぶっきらぼうに見えて、細かなとこまで面倒見がいい先輩なんですよ。ほんと。

今では私が首座をしたお寺の住職となり、法幢師である先代住職とともにお寺を支えています。7月のお盆に私がお手伝いに行っているのが、そのお寺。法幢師さんも良い人でねぇ。そんなお二人から頼まれたお盆のお手伝い、断れない理由がご理解いただけるのでは。ってことを檀家さんにも時々お話ししています。あちらのお寺の檀家さんにも、機会があればお話ししています。自分のお寺の住職が、私もふくめて多くの後輩から信頼されている和尚であるというのは、ぜひ知ってもらいたいですから。

また、今日行ったお寺のご住職とも、ひょうんなことで縁がつながっていて、それゆえに息子を弁事にとお誘いをいただいたわけです。教区の外に子どもを紹介する機会というのはなかなか得難いものです。将来、あそこのお寺で弁事をしました、という履歴は、実は意外に重要で、それだけで十分に話の種になるのです。「あの時の子か!」というだけで、心を開いてくれますしね。息子にとっても良いご縁につながるお話しでしたので、息子の気持ちを尊重するようなふりをして半ばゴリ押しでお引き受けをしました。

そんな成り行きでも頑張って今日の日に備えてくれていましたから、私の息子もなかなかです。へへ、親バカ。

こちらの御住職は、映像と音響について機材の話ができる貴重なお方ですので、コロナ禍でなければこれを機会に対して用もないのに伺って話し込みたいところではあります。勉強させてもらいたいことがたくさん。

何にしてもコロナですね。ほんと困ったものです。症状出ないのにうつしちゃうし。うつされた方が軽症で済むならまだしも、そうとは限らないし。最近では若くても重症になっちゃう例が増えてきたし。本当に注意して参りましょう。

最後の最後でなんですが、今日のタイトルは意味不明だな。

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