書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

子供たちの坐禅体験で何を伝えるべきか

明後日、5歳の子どもたちが坐禅体験に来てくれます。もう何年続いているんだろう。

大体2時間弱の時間をかけて、本尊様へのご挨拶、合掌の仕方、叉手の仕方、座り方はもちろん、静かに座るためには周りのお友達にも静かにしてもらわなくちゃならないので、一緒に頑張ろうという気持ちが大事とか、形から始まり心の持ち方まで、私が伝えられることを精一杯伝えようと取り組んできました。

子供達と同じ目線になることを忘れずに。

5歳ですのでね、もうすぐ小学一年生。私の話も一度聞くだけで大半理解してくれます。すごいんですよ、5歳児。坐禅をしても、15分は確実に座れます。時間に余裕があり、辛そうな子がいなければ20分に挑戦することもありました。

大人目線ですと、そんなに長く座れるはずがないと思いがちですし、私も一番最初の時には、そもそも坐禅として成立する状態になるのだろうかと考えていました。

ところがどっこい。子供たちはすごくすごく緊張してお寺へ来てくれます。私の話すことも、聞き漏らさないように必死に聞いてくれます。集中力が全然違います。

15分の坐禅、大人でも初めて取り組めば途方もなく長い時間に感じます。それを、ガチガチに緊張した中で子供たちは取り組めるんです。

ここ数年は私の方に少し余裕ができてきて、私の表情が柔らかくなったんでしょう、子供たちにも途中からは余裕が感じられるようになりました。私の側からすると、緊張しまくっていてくれた方が子供たちは頑張るので都合がいいのですが、それが恐怖感であったならば、せっかくの坐禅が台無しになってしまいます。今は多分、いい塩梅なんだと思います。

坐禅を終えてから、坐禅のことについて少しお話をします。感想を聞いたりもします。その中で私が一番語りたいのは、坐禅とはなんなのか、という点。

でもこれ、伝えるの難しいんですよね。曹洞宗坐禅は、ただ坐るんです。坐る形には相当のこだわりがありますが、それもまた、ただ坐るために必要なことです。

一所懸命、坐る。坐るだけ。他には何もしない。坐ったらそれで完成だから何も求めない。

ただ坐るって、難しいんです。頭にはいろんなことが浮かんでくる。背中が痒くなることもある。それらに囚われていたら、坐る、に100%費やせたことになりません。

難しいです。

こんな調子でいくらでも言葉が溢れてくるのですが、これを話されても5歳の子には流石にピンとこないと思います。大人でもピンとくる人はあまりいないでしょうから、曹洞宗では、とにかく坐れ、と口すっぱくいうのです。

そう言いながら、正太寺では長らく坐禅会を開いていませんが。

子供たちにどうやって伝えようか。そもそもこれは伝えるべきなのか。そんなことを毎回悩みつつ、今回も悩みつつ、当日を迎えることになります。どうしよっかなぁ。

ちなみに、坐禅には住職にとって見逃せない俗な効能があります。

坐禅中は、電話に出なくて良い、来客対応しなくて良い。ありがたいことに、坐禅をしているとなれば、それを邪魔をしてはならないと、多くの日本人は了解してくれています。素晴らしいことです。いやほんとに、これは貴重な時間なのですよ。

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