書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

活字中毒の話

おときに回りながらいろんなお話を聞かせてもらいますが、今日は活字中毒の話になりました。


本を読むだけではあきたらず、身の回りのあらゆる文字、たとえばお風呂で湯船に浸かりながらシャンプーの背面の成分とか使い方を毎日読んでしまうような状態を、私の中では活字中毒と位置付けています。


いろいろレベルがあるんでしょうけど。


かくいう私もそういうところがあって、また子どもたちも同じような状態なので、興味深く情報交換をしました。有意義な時間でした。


小学6年生の時、日没後の学校帰りにその日図書室で借りた本を読みながら歩いていると、ふいにスピーカー音声で話しかけられたことを思い出しました。


「そこの少年、前を向いてある来なさい」


びっくりして振り返ると、パトカーがすぐそばにいました。ふらふらはしていなかったと思うのですが。


車道と歩道との境は白線があるだけの片側一車線道路。田舎道よろしく、反対側には歩道のない細い道でしたので、ぱっと見で危なく見えたのでしょう。


毎日のことでしたので私は危ないという意識もありませんでした。本に下ろした視線の端で白線を見ながら、まっすぐ歩いていたつもりでした。


自分で運転をするようになって、ようやくあの時のお巡りさんの気持ちが分かりました。いくらまっすぐ歩いていても、本を読みながら歩いている子がいたら、横を通るときはすごく怖い。あの時声をかけてくれたお巡りさん、ありがとう。


一番の親友と競うようにして本を借りては読むという日々を繰り返していました。アルセーヌ・ルパンシリーズ、おもしろかったなぁ。ルパン三世も知っていましたから、絶対に人を殺さないというスタンスはとても意外でした。超人だけども深手を負うこともあり、毎日ハラハラワクワクしながら読んでいました。


あの頃から、何をしているときも文字を探して読む癖が付いてしまいました。良いのか悪いのか。今のところ、悪いことにつながった経験はないですけれど。


懐かしい思い出を、結局口に出しはせずに、次のお宅へと向かいました。私がしゃべりまくってもいけませんのでね。再び活字中毒のお話をすることになったならば、その時には。


こんな具合で、たのしみもいっぱいの暮れのおときです。