書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

とっても暖かい日。その裏に潜む生活の危機。

今日は朝からとても暖かでした。肩の力、背中の力も自然な状態に戻り、リラックスした状態でおときに回ることができました。会話の話題も自然と気温のことになります。みんな喜んでます。

ただ、入出特産の花、「コデマリ」にとっては、寒い期間も必要です。真冬になればハウスの中で暖房を効かせて育てるのですが、一度ちゃんと寒い季節を経ないとよくないんだそうです。具体的にどう影響があるのかは分かりませんが、育てている農家の方、皆さんが言うのですから間違いありません。

それを思うと素直に喜べません。入出の漁師にとって主要な獲物であるアサリが、近年不漁が続いています。生計を立てられる状態ではありません。そこで知り合いを頼りに日雇いの仕事をしたり、畑があればそちらに精を出したりしてなんとか凌いでいます。あまりに長い不漁期間に、八方塞がりの状態。

その中で、コデマリ栽培は生活を支える大きな仕事となっています。JAとぴあ浜松館内でのコデマリ生産量は、2016年8月現在とちょっと情報が古いものの、なんと、日本一、シェア80%。その中でも入出の存在感は非常に大きいのです。

ですので、「いつも通りの」気候であるというのは、入出の民にとって生活に直結します。冬に暖かい日は貴重ですが、あまり暖かすぎるのも困るのです。

そんなコデマリも、栽培をするのはかなり大変なため(毎日面倒を見なきゃならない)、辞める方も少しずつ出てきています。高齢化が一番の原因ですね。大変な仕事のため後継者もなかなか難しい。どんな仕事も大変ですが、定期的に休みが取れて、収入が安定しているという点で比べれば、会社勤めが一番ですから。コデマリも畑を広げていけば大きな収入につなげることもできるはずですが、その分人を雇ったりするようになると、うまく経営しないと大変さが増すだけで収入は変わらなかったりもするのでしょう。

お寺から見ても、会社勤めの安定感は魅力的です。生涯安定ではないのはよく分かっています。それでも、自分たちよりは安定しているように見えるんです。隣の芝は青いというだけなら良いんですけどね。

僧侶の生活は、信者によって支えられていました。毎日の食事は朝の托鉢で賄い、着るものはお布施で賄う(布を施すという字の通り)。一切の生産をせず、修行に励み、教えを説く。見返りは求めない、その姿に信者の側から自発的に生活に必要なものが差し出される。それが僧侶の本来の生き方なのです。厳しい自然環境の中であれば、信者さんたちが困窮すれば僧侶が真っ先に死ぬのでしょう。そんな状況でも、人々の幸せを願って仏の教えを説くのが僧侶なのです。

間違いなく尊敬されるに決まってます。

でも今の僧侶は、後継者の確保が重要課題。そのために、家族を持ち、養う必要が出てしまいました。そうして、家族の生活を安定させることが上位の優先度を持つようになってしまったために、本来雲や水のように自由であるはずの僧侶の行動を制限することにつながってしまったのです。

ということは、家族の生活が安定すれば、僧侶は再び活動の幅を広げることができるようになります。普通のお寺の収入だけではそれはあり得ないので、二進も三進もいかないそのはざまで多くの僧侶が苦しんでいるのですが、ここにもし、会社勤めのような安定感を得る方法があれば、本来のポテンシャルを発揮できる僧侶がもっと増えることでしょう。

独力で収入を増やせる僧侶は、僧侶としての資質として何か違ったものを感じてしまうのが難しいところ。あくまでもその僧侶、そして所属するお寺を思う誰かによる支えでなくてはならないと思います。そのためには尊敬される僧侶としての実績が必要でしょうし、実績のためには安定した収入が必要な現実があり、安定した収入得るには実績が必要で…見事な無限ループです。

以上のように、大半のお寺はすでに破綻するのが確定しているんです。正太寺もその中に含まれます。今のままでは。

だから、金儲けに走る僧侶がいるとして、それはある意味で正しいのです。僧侶としての信念を曲げてでも、お寺を次代につなげていくために必要なことをしている可能性があるのです。お寺にお金を入れるために必死になっている僧侶を見かけたら、話を聞いて、賛同できれば応援してあげてください。それが大きな支えになります。

私もなんとかしなくちゃな。このままだと、来年の庭師さんの請求すら払えない…