書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

久しぶりに自宅葬

プライバシーに関わることでもあるのでお檀家さんの葬儀についてはあんまりタイムリーに書かないようにしているのですが。今日は書きたい。

多分18年ぶりぐらいの自宅葬。今夜はお通夜。すごく久しぶりの感覚を得ました。

思い出したのは、初めて葬祭ホールでお通夜に臨んだ時のこと。到着するとすぐに控え室に通されます。そして、開式時間になると声をかけられ、アナウンスとともに会場に入ります。初めての時には、声をかけてもらえるということさえ知らず、どんなタイミングで控室を出れば良いのか悩まされました。

それと同時に、自宅でのお通夜であればこんな気苦労は一切なかったのに、という気持ちがありました。

自宅葬の場合、葬儀当日は隣家が控室となることもよくあったのですが、お通夜についてはそんなことはなく、会場となる喪家の仏間に直接入り(たいてい、仏間の縁側から上がる)、喪家・親族・会葬者がいる中でお袈裟をつけたり、七日七日のお参りの説明をしたりとしていました。その流れで故人の話で盛り上がったり、全然関係ない会話もしたりと、とにかく開式直前までその場にいる人たちと時間を共有していました。

そして、時間になると葬儀屋さんの簡単な開式のアナウンスが入るので、それに合わせて喪主さんに儀式開始の挨拶をして、祭壇に向けて座り直し、お勤めをしたのです。

とても自然な流れ。

その自然な流れを久しぶりに体感して、とても興奮しています。故人についてのお話もいくつか聞く事ができて、明日の葬儀に向けての気持ちがより高まりました。良い事だらけです。私にとっては。

参列者にとっては、正座なりあぐらなりで座ることを余儀なくされるので、足の痺れに悩まされます。腰も痛くなるかもしれません。葬祭ホールでは無縁の悩みです。他にも、家の中を片付けなくてはならないとか、他人が台所にガンガン入ってくるストレスだとか、自宅葬にはそれはそれは色々問題があったので、今は葬祭ホールでの葬儀がほとんどになってしまったことには納得感しかありません。けれども、久しぶりに自宅葬をやってみると、やはりこれはこれで良い物だなぁと思ってしまった、ただそれだけのことです。

「これから、葬祭ホールでお通夜をする際は、控室に入らず、祭壇脇にいさせてもらおうか」とか、そんなことまでお話してしまったぐらい、輪の中にいる事がありがたかったのでした。