書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

久しぶりの後席

法事の後に、施主家と出席した親戚一同でごはん食べに行きますよね。以前は自宅でお料理を取って、ということも多かったですが、最近は料理屋さんへ行くことがほとんどのようです。これを後席と、一部のお寺業界では呼んでいます。


我々和尚も、お施主さんの心遣いで、よく招いて頂きます。最近は住職・副住職ともに忙しいことが多く、なかなかご一緒出来ずにいました。住職はそれでも月に1度2度は都合が付くのですが、私は2月に一度とかいう具合でした。ま、法事を勤めている回数がそもそも住職よりも少ないのですけどね。


今日は余裕があったので、久しぶりにご一緒させて頂きました。そしたらいろんな話が出るわ出るわ。人によっては20年30年前のお寺の様子を話してくれたりします。私がなかなか知り得ない昔の正太寺の姿をよりリアルに想像出来るようになるためには欠かせませんね。


その中の1つの話。今から40年ほど昔、子どもたちに見せるスライドの録音するときのこと(紙芝居なのか、録音テープなのか詳細は不明)。制作メンバーでお寺に集まっては、録音していたそうです。お寺が選ばれたのは、静かだから。今のように防音室なんてありませんから、なるべく静かなところが選ばれていた、と。私の母もよく出演していたようです(私の父でもある師匠は婿養子なので、お寺にいたのは父ではなく母なのです)。


高校生の母を想像するのが困難なのですが、それは置いといて、お寺がそうして人が寄り合う場所になっていたというのが、現在との大きな違いです。今は他に良い場所がたくさんありますから、なかなかお寺がそうした場になれません。椅子もないですし。


お寺に人が集まるようにしたい、というのは以前からの私の念願です。お寺によっては一般的な本堂の様式を完全に止めてしまって、劇場のようにしているところもあると聞きます。私はテレビで見たのですが、若者が集まって、仏教にまつわるお話しを劇として演じていました。一度きりのことではなくて、頻繁に行っているんだそうです。うろ覚えですけどね。ああいうお寺にしたいなーと考えたのは、はっきりと覚えています。


喫茶正太寺を構想してみたり、常々いろいろ考えていますが、なかなか実現しません。インスタントコーヒーがたくさんあったから、コスト無しで喫茶正太寺が出来るかと思ったら、急に篭盛りやお中元などでインスタントコーヒーがもらえなくなって頓挫してます。いま玄関で使っている応接セットを勝手に本堂に移すわけにもいかず、このあたりが副住職の弱いところでして。まあ、応接セットも無いと困るし。


じゃあ他に何を使ってコーヒーを飲むスペースを実現しようかと考えると、ちょっとした机と椅子を2脚3脚と考えると、買わなきゃならないんですよね。そこでコーヒー飲んでいってくれる人がいるかどうかも分からないのに、買うところから始めるというのは、財力乏しい正太寺と私には無理なこと。多少実績が欲しい。


そういう後ろ向きな言い訳が重なって、喫茶正太寺も動き出せないままなのです。座って飲む環境ならすぐにでも出来ますから、それでやってみようかなぁ。椅子が良いんでしょうけれども、お寺なら正座やあぐらも「らしさ」という付加価値で乗り越えられるかな。必要なのはポットだけです。昔ながらのポットなら余ってるし、土日限定でやれるかな?暑い夏に始めるのは得策ではないかなぁ。


などなど、お寺に戻ってからいろいろと考えるきっかけとなりました。後席に呼んで頂いたおかげです。得る物が多いこうした機会を、あまり行けないことの無いようにしていきたいです。お施主さんにも失礼ですしね。