書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

若い人の葬儀は、滅入ります

先日訃報が入り、今日葬儀がありました。若い方の葬儀です。急な知らせでした。


そのお宅には、つい先日、「暮れどき」に伺ったばかりでした。いつものようにおばあさん(お母様)がお茶を出してくれて、少しの時間お話をしました。突然のことでしたから当然そのときには何の予感もなく。そのときの笑顔が思い出されるが故に、今日、葬儀の場でお会いするのが辛くて辛くて。ご本人とはほとんど面識がなかったものですから、おばあさんの心中ばかり計ってしまいます。


今までにもこうした経験、何度もあります。正太寺では年間10何件かのお葬式がありますから、若い方の葬儀に巡り会うケースも少なくありません。ご本人に数日前にお会いして、亡くなられたお父様の初盆の相談を受けたばかり、ということだってありました。


訃報に接して、辛くなかったことなんて、一度もありません。みんな、私を幼い頃から知っている人ばかりです。


でもやはり、若い人の場合は、より辛いです。それなりに年輪を重ねた方であれば、子孫をつなぎ、人生をやりきった末ですから、お疲れ様と声をかけることも出来ます。でも、若いと、そうもいきません。仕事の邁進する人生で、同僚から「お疲れ」と声をかけられる場面もみましたが、それも辛いシーンでした。


最近は、40台ぐらいがいちばん危ないなんて話も聞きます。仕事のストレスも大きく、長年酷使してきた体がきしみ始める頃。それが40台。脳梗塞心筋梗塞、やはり頭と心臓が突然、危険信号を発するようです。


少し年長の方とこうしたお話しをすると、みんなまじめすぎるんじゃないかと、そういう話になります。嫌なことがあったら抱え込まずにさっさと忘れて、次に切り替えないと、ストレス貯まるに決まっとるじゃないか、と。そういうわけにはいかない事情がやまほどあるからストレスが貯まるんでしょうけれども、日頃からストレスを解消するように努めるのも、これから先、生き抜くための必須の手段になりそうです。


辛い葬儀には巡り会いたくありません。その思いは、誰しも同じはずです。自分がそのきっかけとならないように、もう少しだけ、自分の体に気を遣ってみませんか?毎年人間ドッグに行くだけでも、少しは違うはずです。それは私もですけれどね。