書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

薄墨の由来と、お寺の立場

香典袋などに薄墨で名前を書くというのは、副住職に就任してしばらくしてから知った風習です。由来を調べてみると、悲しみに暮れて濃くなるまで墨をすれなかったとか、涙で薄くなってしまったとか、そんなようなことが挙げられているようですね。


お寺の世界を見てみますと、そもそもが香典袋というような物はなく、可漏という奉書紙を折って作った物を用います。そこに書く字は、100%濃い字です。私は手抜きなものですから市販の墨汁を使ってしまいますが、正式には当然自分で墨をすって書くわけですね。その色が薄かったら、やり直しです。


急いでいるとか、涙で薄くなったなどという理由で、薄い墨を使うことが許されるような世界ではありません。


そこが世間一般との違いで、そうした理由であれば多少薄くても人情で許容されたものが、いつの間にか薄墨で書くのがマナーになってしまったという考え方から来る説が、もっとも信憑性があるように思います。


というわけで、もし私がどなたかから、薄墨でなくてはならないのかと相談されたら、くっきりと濃い字で書きましょうと答えるつもりでいます。


六曜の迷信もそうですが、人間というのは自分を惑わす物であればあるほど信じ込んでしまう性質があるようです。そんな物にとらわれずに、シンプルに生きましょう。考え方をスリムにして。それが、禅の精神です。