書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

込み合う、混み合う

通知文の発送を依頼されまして、その文章の中に「込み合う」という表現が出てきました。あらま、珍しい、誤字だ。直しておこうかな、と思い、それでもと思ってインターネットの辞書で調べてみると、「混む」という方が近代の造語であることが分かりました。


ずっと「混み合う」という表記が正しいと思っていたのですが、元来は「込み合う」だったわけですね。他の言葉と同様に、それが一般に浸透していくうちに正しいものと認識されてきたようです。でも、知ってしまうと使い分けたくなります。


普通の時には「込む」。とても混雑しているときは「混む」、とかね。


造語とは違いますが、重複を「じゅうふく」と読んだり、早急を「そうきゅう」と読んだり。どちらも今ではアナウンサーでも使います。広く一般に普及した読み方なので、今ではもう国語のテストでこうやって書いても、正答になるのでしょうか。


今調べてみたら、重複に関しては30年ほど前にすでにどちらで読んでもいいと教師から教わった方がいたようです。私が小中学生だったのは20年ほど前になりますが、「じゅうふく」と書いたら×だったように記憶しています。


言葉は生き物です。時代と共に変化していきます。でもその変化が、「読み間違いが定着して」という理由で起こった変化だとしたら、なんだかその国の人々全体の語学レベルを貶めているようで私は良い気持ちになれません。


言葉は正しく使い、変化を起こすのだとしたら、言葉をより洗練されたものにするためであって欲しいと願っています。人と人とが意志を通じ合う大切な道具です。よりよく磨いていきたいものです。