書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

英語の世界

とあるMac用ソフトウェアの使い方紹介ビデオを見ていました。英語はさっぱり聞き取れず、高校時代週二回しか英語の授業を受けなかった私には書かれている単語すらも認識率は5割程度なのですが、ビデオなのでなんとなく雰囲気は伝わってきます。そして冒頭部分で、ジャンジャンと短い英文を入力していくのですが、英語の世界って、楽だなぁと感じました。
(正確には、コンピューター業界で言うところの1バイト文字圏。日本語は2バイト文字圏です)


大文字小文字を合わせても52文字。プラス記号ですから、キーボードからの入力はとても楽ちんです。漢字変換の要らない世界というのは、楽ですよ。変換するキー操作も、表示された候補から探す作業も不要なのですから。


ただ、漢字は表意文字。その分、パッと見ただけで把握できる情報というのは漢字文化圏の方が有利に思えますが、実際はどうなのかなぁ。英単語だって、最初の数文字だけで予想が付く物が多いですし、文字も上に出たり下に出たりしていて、そのバランスと字形を見るだけで意味が把握できる単語もあります。それほど違わないのかもしれません。


なんだか漢字って、そりゃあ文化としてとても誇りに思えますし、日本語を自然に扱えることの喜びも持っていますが、メリットという面だけでとらえると、限られた紙面に詰め込める情報量の多さぐらいしか思いつかないですよ。日常的に使っているから気付かないだけかもしれませんけど。


コンピューターの世界に限れば、アルファベットの入力だけで済ませられるというのはとても大きな英語圏のメリットですね。コンピューターへの負担だって、だいぶ違うのです。同じパソコンで同じOSの日本語版と英語版を動作させると、英語版の方が負荷が少なく動作するのですから。フォントだって、サイズが小さく済みますし(英字フォントのファイルサイズはものすごく小さいです)、作る労力だってまるっきり違います。無料で使える日本語フォントってかなり少ないですが、英字フォントはとてもたくさんあります。作らなきゃならない文字数が遙かに少ないんですから当然です。


英語が事実上の世界標準語になっている以上、日本語プラス英語の学習は必須かな、と感じます。私がもし英語をある程度自由に扱えたら、たぶん予定とかメモとか、そういう個人的な情報は全部英語で書きますよ。携帯電話での入力を除けば、英語で入力した方がたぶん速いですから。
あぁ、そういうところから英語の学習をしてみても良いですね。自分の生活でよく使う単語はそれでだいたい覚えられそうです。


でもね。学校で教えるならば、その前に日本語をしっかりと教えてあげて欲しいです。テキトーな日本語でよしと思わずに、言い回しだとか、用法だとか、同じ熟語でも時代によって使い方が変わる歴史的経緯だとか、そういうことにこだわりをもてるように。言葉を「ただ話す」だけじゃなく、「使いこなす」ことが出来るように。これはもう、点数の問題じゃないんです。先生の情熱ですよ。


言葉は変化していくものです。たかだか100年前と比べても、大きく変わっています。しかし、「変化」と「乱れ」は違います。乱れが日本語をつぶしてしまわないように、家庭で、学校で、しっかりと教えて欲しいと願っています。(私の日本語がきれいで正しいわけではありませんが、そうありたいと意識はしています。)