書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

副住職としては珍しく

二日続けてお年忌をおつとめしました。おかげさまで住職が元気なものですから、副住職の出番というと、一日2件お年忌がある場合に限られてきます。
最近そういうケースが少なかったものですから、久しぶりに二日続けてのお年忌となりました。


今日書くのは昨日のお年忌のことです。お年忌のことを詳しく書くのは施主家の内情を書くことにつながりやしないかと、日記で書くべきか迷ったのですが、書き方次第だろうな、という結論になりました。


実は昨日のお年忌に、日蓮宗の僧侶の方が、親戚として参列されていました。施主家でのお経が終わって、お寺へ移動するために車に向かう途中で話しかけて頂いて、その後も位牌堂でのお念仏の後にまた少しだけお話しすることが出来ました。
曹洞宗には念仏という教義はないのですが、入出にはお念仏が欠かせない風土があるのです)


その時のお説教の中で、曹洞宗僧侶の合掌の仕方を取り上げたのですが、日蓮宗の場合は、ということを教えて頂きました。それ以前にはおそらく浄土真宗のお檀家さんと思われる方から、わしは和尚からこう教わった、という話も聞かせて頂いていましたし、新しい知識を得たことにうきうきすると同時に、自分が思っている以上に、お説教を聞いてくださってるんだなぁと、感じ入りました。


さてその合掌の仕方ですが、日蓮宗の場合は、胸の前にくっつけるというような形になるそうです。曹洞宗の場合は、中指を鼻の頭の高さまで上げて、顔からこぶし1つ分離したところで維持します。腕は真一文字になるように、力を入れて手のひらを合わせます。短い時間で聞かせて頂いたものですから、実際にはおそらく曹洞宗と同じように細かな作法があるんでしょうね。なんといっても修行ですから。


もっとも、ご本山での修行だからしっかりやるというわけではなくて、お山から下りた後も当然そのような合掌をするべきなのですが、あまりびしっとやってしまうと、若々しすぎて貫禄が付いて見えません。その辺りを意識しながら、腕の張り具合などを調整しています。
厳かな法要ではなるべく修行中に近い形にして、お檀家さん宅での法事では、親しみやすいように柔らかな形になるようにして、という具合です。


何気ない合掌にも、いろいろと考えがあるんですよ。ひとつひとつに意味があるってことですね。自分のしていることの意味、ひとつひとつについて考えたこと、ありますか?もし無かったら、考えてみてください。何気なくしている、たいしておもしろみも感じていない事が、実はとっても刺激的で魅力的な事なのかもしれませんよ。