書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

お天気が気になります

ウェザーニュースによると、来週の土日は雨が降る。ヤフー天気によると、そこそこ良い天気。

ヤフーさん、私はあなたを信じます。

来週の土日は正太寺の晋山結制ですよ。私が正住職としていよいよ正太寺に入る日ですよ。すでに入ってますけど。ということは一旦追い出されるのか?

昔の和尚はすごかったんですよね。禅師さんに「お前、あそこの住職な」って任命されたら、そのままそのお寺に向かい。到着するなり晋山式と結制上堂を行った、はずなのですよ。その分、住職の動きというのは対して難しくなく、法語を唱えるのがメインとなっています。これは道中で作成できるからかなぁ。

晋山式はお寺の中の仏様方へのご挨拶の儀式ですからさほどの緊張はないでしょうが、結制上堂は、集まって僧侶たちの質問に答えて見識を示す儀式です。どんな和尚が住職としてやってくるのだろうという気持ちでいろんな僧侶が質問してくるわけで。前任の住職が優れていれば優れているほど、その方との比較もされるわけで。

もっとも、こんな大掛かりなことがすぐに実施できるのは、修行道場としての体を整えていたところぐらいであったとは思います。小さなお寺で、新しい住職が来るから結制上堂でどんな考えを持っているか示してもらおうなんて、ならなかったと思うのですよ。

こういう歴史はどこかで研究されているのかな。意外に古い話じゃなくて研究対象とされていないのかな。

結制上堂を行い、首座を立てて法戦式を行わなければ(これを一口に晋山結制と言います)、曹洞宗の中では正住職とはみなされません。正住職と書類上の住職の差は大きく、金蘭のお袈裟をつけられませんし、金蘭でなくとも刺繍の入ったお袈裟をつけられません。

法事の際に当たり前に着ている少し煌びやかなお袈裟。本来、あのお袈裟はつけられないのです。色が同じ刺繍ならいいんだっけかな。割と細かく分類されて定義されています。

副住職になると、色の付いた法衣が着られるようになりますが、住職になってもそこから変化はなかったような。微妙な変化はあったかもしれませんが、現実問題として、檀家さんのために少し派手な格好をしようとすると、全部アウトなのです。

曹洞宗の僧侶としては、派手な格好よりも、黒い衣に木蘭のお袈裟で何事にも臨みたいところですが、その一方で、世間の目も気にしなくてはなりません。

少し煌びやかな格好=偉いお坊さん

偉いお坊さんを法事に呼べる=施主が社会的に認められる

偉いとはどういうことなのかという哲学的な問題は抱えているもの、こんな図式が未だにあるにはあるのです。ちなみに、お葬式に金蘭のお袈裟(あの派手なお袈裟)をつける理由は、これは私の個人的な考えですけれど、自分が着ることのできる一番良い法衣を身につけて臨んでいる=それだけ故人のことを大切に思っている、という意思表示のためだと思っています。

ですから、曹洞宗における着物の上限関係が今のままであれば、派手を好まない私であっても、葬儀には金蘭をつけていく以外に選択肢はありません。悩むことでもないですし。

さて、お天気。私の中では、ウェザーニュースは後ろ向きな予報を出し、ヤフー天気は前向きな予報を出す傾向があると認識しています。いずれにしてもまだ9日10日先の話。今出ている予報の信頼度はさほど高くありません。なんとか、二日とも、良い天気になって欲しいものです。せめてお稚児さんが気持ちよく歩けますように。

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