書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

お役僧

仏式のお葬式には、お坊さんが何人も来ますよね。都会だと一人や二人でやる場合が多いですけれど、この辺では、菩提寺の和尚さん含めて6人で行うのが一般的です。部屋の大きさなどの都合で4人になったりもしますけれど。


菩提寺の和尚さんは導師と呼ばれる役に就きます。一番のお偉いさんですね。その他の和尚さんは、お役僧と言って、簡単に言えばお手伝いの和尚さんです。導師一人では葬儀を進行するのに支障があるので、何人かで連携しながら行います。だから、曹洞宗のお葬式の場合は、一人でやろうとすると随分無理のある形でやることになります。それが良いか悪いかはまた別の話ですが。


前置きが長くなりましたが、とあるお寺さんでそのお役僧に呼ばれて行ってきました。そこのお寺さんは、私のお寺とはちょっと違ったお葬式をします。もちろん式次第は同じです。違うのは、言葉。


曹洞宗の葬儀では、導師様がまず最初に亡くなられた方に戒律を授けます。その証として、血脈とお戒名を授けます。その過程で導師様がお唱えになる言葉というのは通常、漢文の書き下し文を少し分かりやすく噛み砕いたかなぁ、というぐらいの、予備知識無しで聞いた場合にはさっぱり理解できない言葉です。でもそのお寺さんは、これがずいぶん平易な言葉に置き換えられています。


お授けする戒律も、なんとなく分かるくらいまで説明が付きますし。その場面ではただ聞いているだけの役目である私も、うんうんとうなずきながら聞いてしまうような状態でした。


ほんとうに簡単に理解できる程度まで噛み砕いてしまうと冗長になってしまうので、これ以上は難しいところですが、これぐらいなら何回かお葬式に参列していれば内容が理解できそうです。・・・あんまりそういう機会は無い方が良いんですけれどね。


でもこちらとしては、戒律とは何なのか、どうして授けるのか、どういう戒律なのか、そういうのは知ってもらいたいことです。正太寺でも、戒律の説明はお葬式の後に必ず行っています。でもそれを、お授けする時にある程度分かりやすく伝えられるのであれば、それをやらない手はないな、と思います。



でもですね。お唱えする「調子」とかもありますし、これがなかなかうまいこといかないのですよ。正太寺では、お葬式の場で分かりやすく伝えることも大切だけれど、日頃からお年忌などの場を利用して、戒律を授けるとはどういう事なのか、常に示し続けることが大切であって、お葬式では今まで脈々と受け継がれてきた伝統を重んじようと、今のところそういう風に考えています。


んーでも、今日みたいなやり方もいいよなぁと、考えがやみません。ひたすら頭の回る、夜長です。