書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

所変われば葬儀も変わる

所変われば葬儀も変わる。極端に変わるわけではありませんが、役僧としてその場にいると、その違いぶりに驚かされることがあります。

今日がまさにその日でした。

終わってから先輩僧侶と話した際には、時々入出の隣、新所のお寺でお役僧を頼まれて行くことがあるけど、全然違うよね!とのこと。同じように感じてらっしゃいました。やっぱり。

役僧のメンバーの中では本日最年少だったのですが、次に何が来るか分からないという状況で、何もお手伝いが出来ませんでした。もっとも、導師のお手伝いはそれなりの経験のある方が勤める役ですので、本来の姿に近かったとも言えますけれど。

それでも年少者が気を回して色々動くのが期待される世界です。それが分かっていながら何も出来ずにいるというのは、辛かったです。

事前の打ち合わせでも、細かくはやりませんのでねぇ・・・最初に、何もお手伝いできないかもしれませんと断りはしてありましたが、まさかここまで何も出来無いとも思いませんでした。とにかくお経を一所懸命読む以外ありませんでした。

一度経験すれば、だいたい流れは分かります。いや、流れは宗派が同じであれば同じになるはずでして、ただ、細かな違いがどうしても生じるんですよ、地域の状況に合わせて。それが把握できないと、当然のことながら先回りして気を利かすなど、出来ないわけで。

次またすぐに呼んでいただければ今度は少しお手伝いが出来ると思いますが、今回たまたまお盆中で近隣寺院の手が空いてなかったという事情で私の所に話があっただけなので、次回があるとすれば数年先でしょうか。

今日の葬儀の一番の特徴は、戒律を授ける一連の儀式が、現代語に近い文章で行われたことです。私も同じお経本を持っていますが、まだその形式には移行していません。ちょっと冗長に感じる部分があるものですから、そこを修正したいなと思っていまして。

元の文章と比べて、どうしても長めになるので、当然葬儀の所要時間も長くなってしまいます。でも現代の葬儀は、終わり時間をきっちりしないと、火葬場で受け付けてもらえなくなる可能性もあります。受付てくれたとしても、後の方に迷惑がかかるようなことがあってはいけません。

中身に手を入れるとしても、時間は厳守なのです。これが一番難しいかも。

さらに、懺悔文と三帰戒を、ご遺族と一緒にお唱えをしました。声はさすがに小さめなものの、懺悔文の書かれた紙を見ながら一所懸命お唱えをされているように見えました。

枕経の時から、懺悔文のお話をされて、一緒にお唱えをしているそうです。これならすぐにでも実践できそう。ただ、懺悔文は短いお唱えですが、やはり書いてあるものが必要です。紙に書いてコピーすればすぐに用意できますが、慌ただしく枕経へ出かけるときに、忘れずに持って行けるかどうか。

いつも使う法衣カバンに入れっぱなしにしておくのが良いかもしれません。10枚もあれば、もし人数分無かったとしても、見せ合いながら対応できそうです。そうしよう。

いろんな意味で刺激を受けたご葬儀でした。ありがたいご縁をいただいた故人のご冥福をお祈りし、このご縁を無駄にせぬよう、精進することを誓います。