書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

久しぶりに浜松駅周辺へ

学校行事の関係で、久しぶりに浜松駅周辺をウロウロしました。高校時代には毎日通った浜松駅も、卒業後は稀に新幹線に乗る時の経由駅となり、駅前へ出て何かをするという機会もあまりありませんでした。

子供が成長し、浜松の高校へ通うようになっても、自身が電車へ浜松へ向かうということもなく、やはり機会はないまま。そんなわけで、こんなにウロウロしたのは久しぶり。

バスターミナルの地下を歩いてみたり、メイワンを行ったり来たりしてみたり。

バスターミナルの地下には、ホームレスの人たちが数人。30年前もそうだったかな。第一通りのあたりにはたくさんいると言われていたのがもう20年ぐらい前でしょうか。そちらが整備という名の手を入れられて以来、バスターミナルへやってきたのか。それにしては数人というのは少ないですね。そんなものではないはず。

私も僧侶という身でありながら、ホームレスに身を置く方と直接話をしたことがありません。来るものは拒まずですが、お寺にこもって修行をして暮らし、用がなければ外には出ないという曹洞宗です。出向いて行って声をかけるというのは参考にするモデルが少ない。

良寛さんもこうしたモデルとはちょっと違う気がする。

話したことがないので、昼間からお酒を飲むのは、そうでもしなけりゃやってられないからだよなと思いつつ、そのお金はどうやって手に入れているんだろうとか、疑問は解消しません。空き缶を集めて売るとか、そういう話は聞きますけれど、私が直接聞いたわけではありませんので、疑問解消にはつながらないのです。

ただ、短い人生でありますので、やれることには限りがあります。私は正太寺のお檀家さんに寄り添い、正太寺を護持していくことが最優先。今まだそれがままならないので、外に出ていく余裕はないのです。

ホームレスから抜け出したい人、そのままでいいと考えている人、そのままがいいと考えている人、これこそが望んでいたものと考えている人。色々だというのもまた、聞いた話としての知識は持っています。望んでいるのだとしたら、我々僧侶の本質と大差ないことになります。世捨て人、アウトロー、そうして思い詰めた人間の集まるところもお寺でありました。

そういえば、入出のあたりでは浮浪者と呼ばれる人も、物乞いと呼ばれる人も見かけなくなりましたね。活気がないせいでしょうか。ある程度栄えている場所でないと、仕事もなく住むところもなく生きていくなんて無理ですから・・・

そんなことを思いながら、バスターミナル地下を通り過ぎること2往復。そのうちに、お帰りの時間となりました。過ぎてみれば短い時間でした。

ビックカメラまでは行けなかったなぁ。

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