書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

ひょんなことで辿り着いた記事に(気づかない・気づかれない障害)

そのまま一気に読んでしまいました。

bunshun.jp

知的障害を持つ人たちとボランティアという立場で交流をしていた時期もありますが、最近は何も関わりを持つことができずにいます。あの時に同年代や少し上の年代だった障害を持つ友人たちも、私と同じように歳をとり、今ではすっかりおじさんおばさんになっていることでしょう。時々Facebookなどで写真に写り込んでいるのを見つけています。

今回の記事は、私も知らなかった、いわゆる健常者と、いわゆる知的障害者の、間にいる人たちの存在を知らしめるものでした。

思い返せば、同級生にそれを思わせる子がいました。もちろん今更私が調べようもないのですが、もしあの子がこうした状態であったならば、その後の人生はどのようなものだったであろうかと。

高校大学と進学できているのに、数字が読めないことがあるなんて、想像もしていませんでした。そしてそのことに、周囲の誰も、両親ですら気づかずにいたなんて。

それぐらい、見抜くことが難しいということのようですが、でも気づいてあげられなければサポートもできません。

ホームレスを見て、なぜあの人は働こうとしないのだろう、と思うことはごくごく普通の感情だと思います。でも、その中に、周囲から気づかれない、自分でも気づいていない障害のために、ホームレスにならざるを得なかった人がいるのかもしれないと思うと、裕福に見えるこの日本社会においては、それは本人の責任というよりは、社会の責任とするべきではないのかと思うのです。

個人単位では気づけなくとも、社会として気づけるように。私には何ができるでしょうか。みんながそうして考えることで、きっともっと優しい社会が作れると思うのです。

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