書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

檀務が忙しいと書けることが無くなる

檀家さんの自宅でお経を読んだり、法事をしたり、葬儀をしたり。そうしたお檀家さんと直接に関わる勤めのことを、檀務と表現しています。多分。私はそのように理解している。

この檀務が忙しいと、お寺としての本来の勤めが忙しいイメージとなりますが、困ったことに日記が書けなくなります。檀務中のことを細かに書くわけにはいきません。その時に感じたことを一般論として展開することはありますが、基本的には書かないようにしています。

書いているように見えて、実は随分前のことだったり、色々と工夫をしているんですよ、これでも。当事者のお檀家さんが呼んだら分かるかもしれませんけれども。

というわけで、今日はとても忙しく過ごし、そのために日記に書くことがありません。今現在、腰が痛くて肩が痛くてとっても辛いというぐらいでしょうか。頭痛につながっていないのが不思議なくらい。こんなこと書いたら頭痛が始まるかな。

サロンパスを貼りたいけれど、もうすぐお風呂。お風呂に入る時に一回剥がすと、お風呂上がりにくっつきづらそうなので、入浴後まで我慢しようとか考えています。

そう。お風呂入ると肩こりが楽になるとか言うじゃないですか。でも私は実感したことは一度もないんです。バブとか入れても。バブって、入れた時に入っている人にしか効果ないですか?ブクブクしている時しか。ブクブクしている時に入っても効果を感じられたことはないんですけどね。

先日日記に書いたカフェインと一緒です。体が反応している気配が、無い。

入浴はそれ自体が体力を消耗すると言います。肩こりなどの改善効果も感じられず、ただ体力の消耗をしているだけ、というような感覚なんです。特にここ数年は。寒い時期は、体が芯から温まって幸せを感じます。これは寒がりな私にとってとても大切な瞬間ですらか、グタグダ書いたような理由を持ってしても入浴自体を悪くいうことはできません。

が。

世間が言うほどの効果を得られていない自分が、悔しくて仕方ないのです。すごく損をしている気分にもなります。みんなお風呂に入って幸せ気分を満喫しているのに、私はただ疲れて出てくるだけじゃんかよ、と。何がいけないんだ、と。和尚にあるまじきスネっぷりです。

さて、ここまで読んで私に多少なりとも同情してくださったかたがいらしたら大変申し訳ないのですが、あったかいお風呂に入れる、それ自体がとても幸運なことなのですよ。熱エネルギーと水を大量に消費できる環境になければ入れないんですからね。それが望めば毎日入れる。

そんな環境に身を置けているのですから、感謝感謝。ひたすら感謝。ただ、こんなに恵まれた環境なのに、それでも肩こりやら頭痛やらで苦しまなければならないとは。飢饉でも起こったら私は生き延びられるそうな気がしませんね・・・

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