書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

保育園の坐禅体験

きっと明日の中日新聞湖西版に載ると思いますが、地元保育園の坐禅体験を受け入れました。毎年の恒例行事です。ただ、保育園の閉鎖が決まっているという話なので、終わりが見えてきてしまいましたね。

年長さん20人。小学校入学の迫ったこの時期に、落ち着きを得てほしいとか、がんばったという経験を得てほしいとか、大人側の事情はいろいろありますが、やってくる子ども達の表情はいつも同じ。みんな、多かれ少なかれ緊張しています。

そりゃそうです。先生から一応説明みたいなものがあったとは思うのですが、どんなに説明を聞いても、何するんだか具体的には何も想像できないと思います。

迎える私も、一番下の息子ももうすぐ小学校の高学年ともなると、どの程度の表現が通じるのか探り探りで説明することになります。

一番盛り上がったのは鬼滅の刃を話題に出したとき。

今年も子ども達は、15分間も坐禅をがんばりました。その15分はすごく長く感じたでしょ、と。でも、鬼滅の刃は一話30分(CM込み)。その半分の時間なんだよ。鬼滅見てると、あっという間なのにね、と。

同じ時間なのに、どうして長さが違うように感じるんだろう?

そこまで話して、宿題にしてしまいました。もしいつか、仏教的なその意味に気付くことが出来たら、すごいなと思います。

理由は簡単で、説明すれば、ああそうか、となるんです。すぐ納得できる。でもすぐ納得できちゃうから、自分の中に残らない。この理由をいつも意識していられると、いろんな場面で自分の気持ちをコントロールできるように、なったりならなかったり。なんだそりゃ。

コントロールできる場面が増えることは間違いないと思いますが、個人差はあるでしょうね。魔法じゃないですから。

そのちょっとした気づき。自分で体験して、繰り返し体験して気付くと、自分の中にしっかり残ります。その一つの方法が、ただひたすらに坐禅をすること。

坐禅はいろんなことを気付かせてくれます。今日のお話は、その気づきの中のひとつのお話でした。他には自分のこらえ性のなさとか、足は痛くなるものだとか、座っているだけなのに無理すると体を壊すとか、心臓の鼓動の大きさだとか、自分のこともたくさん教えてくれます。

足を組まなくても、椅子に座ってでも同じです。目標は40分の静止時間。その間動かずにじっとしていられる姿勢としては、結局、坐禅の姿勢が一番ではありますが。静止してるって、案外難しいのですよ。一番楽に続けられるから、坐禅の姿勢があるのでした。それでもどこかしら痛いですけどね。

保育園のみんなは、今日、とても頑張りました。おうちで報告して、褒めてもらえていると良いなぁ。

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