書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

お稲荷様のお祭り

正太寺の鎮守様であるお稲荷様の、年に一度のお祭りでした。春の弘法様のお祭りがお花がメインなのに対して、お稲荷様のお祭りは、炊き出しによる昼食接待がメインです。

最近では炊き出しをする風景も珍しいものになりました。20年ほど前には葬儀があると当然のこととして炊き出しをして参列者をもてなしたものです。我々僧侶も葬儀後にはその昼食を振る舞っていただいて、良い具合に煮詰まった味噌汁を美味しくいただいた事がつい昨日のことのように思い出されます。濃い味にに煮付けられた油揚も、美味しかったなぁ。

漁師町なので味付けは基本的に濃いのです。正太寺の食事は今も昔も薄味なので、たまに濃い味のものを食べるとすごいんですよ。薄味の食事をしているのでなくても、あの炊き出しのご飯は全てが美味しいですけどね。

ただ、大変な負担があったことも確か。今となってはもう記憶もおぼろげですが、あるお宅が助六寿司を炊き出しのご飯の代わりに出したところ、それ以降のお葬式では例外なく助六寿司が出されるようになりました。みんな大変だったから、辞めたかったんですね、きっと。仕事を休んでいた方も多かったと思います。喪家は仕事を休む大義名分がありますが、近隣のお宅の場合は忌引きで休むわけにはいかないですから。さらに昔なら、「おお、大変だな。手伝ってこいよ。」というような感じで休みをもらえる事があったと思うんですけれど。

いろんな思いの交錯する炊き出しですが、ほぼ正太寺のわがままとして続けています。年によって多少のばらつきがあるとは言え、不動のメニューといつもの味という組み合わせはお檀家さんにとっても心の味となっていることと思います。きっと。私の年に一度のこの日の食事が楽しみでしょうがありません。

その期待に応えるべく、というのがまず一つの理由。そしてもう一つ。技能としての炊き出しの継承です。大人数の食事を用意するというのは、まずは材料の分量からして想像がつきません。100人前の炊き出しに何度か参加することで、その規模感を覚えてもらって、いざ炊き出しが必要な時に先頭に立って引っ張っていってもらえるように、という思いがあります。

東海地震が叫ばれ出してからずいぶん経ちますが、前回の地震から予定周期を等に超えているはの事実です。今こうして日記を書いている瞬間にも、大地震が発生しておかしくありません。無事に生き残れば、その後も生き延びなくてはなりません。その時に炊き出しの技能は大変有効でしょう。

支援物資として食材が届いても、それが調理できないのであれば役に立ちません。大人数分の調理に勘所がわかる人が多ければ、それだけ助かるというものです。

そんな思いもあって、できるだけお祭りを継続していきたいと思っています。お檀家さんの支えがとても重要です。これからもよろしくお願いします。