曹洞宗では、教区単位で人権学習会を年に一度は開催するようになっています。ここ第三教区でも本日、平成27年度の人権学習会が開かれました。
カリキュラムは例年通り、宗務庁の人権擁護推進本部が作成した人権啓発ビデオの鑑賞と、それを踏まえての意見交換です。ほぼ毎年、このビデオは新作が作成されます。なかなか大変なことだと思いますが、映像政策のコストは年々下がっていますので、費用は昔よりはかからなくなってるのかなぁなどと、余分な心配もしてしまうのでした。
今年のビデオは、できがよかったです。私にとっては。
今までどこかで引っかかっていた何かに気づくこともできました。人権というと、その字面から、自らが主張できる権利という向きでの捉え方が強くなってしまいます。もともと日本において人権というものが考えられるようになったのはまさしく、主張から始まっていますからその捉え方は何も間違ってはいません。
ただ、数多ある人権問題、それを未然に防ぐ、もしくは傷の浅いうちに解決する、いや、大事になってからであってもそれを解決するために大切なことは、優しく包み込むような心だと思うのです。
日本における教育の成果なのか、曹洞宗のカリキュラムによって結果として意識にこびりついてしまったものなのか、原因となるところは良くわかりませんが、人権問題という言葉からは、何かギスギスしたものを感じるようになってしまいました。
僧侶の教育においては、権利のことを云々するよりも、もっと仏教的な接し方を教えたほうがいいんじゃないかと考え始めました。宗務所庶務主事ですからね、宗務所主催の人権学習会のすすめかたにも無関心でいるわけにはいきません。
もちろん、過去の事例を学ぶことは大切です。同じ過ちを防ぐとともに、似たような事例、将来悪いことに発展しそうな事柄にいち早く気づくためにも、事例の学習はどんどん行うべきです。
今日は、良い気づきをもらいました。嬉しいです。