庭師さんが急ピッチで葉っぱや枝が散乱した境内や霊園を掃除してくれてます。我々はこれまた急ピッチで、明日のおせんぼうの準備です。
近隣六ヶ寺で構成している懺法講。春秋の両彼岸に順々に観音懺法をお勤めし、前回からそれまでに亡くなられた方のお戒名を軸に書き足して、永代供養をしていくのです。
よくよく考えたら、特別に永代供養塔を建てたりしなくても、この六ヶ寺を菩提寺とする仏さまは、今までもこれからも、永代に渡り両彼岸に供養を受けられるわけです。
それってすごいことだなぁと初めて思い至りました。
ご家族がお布施をする機会も、初回だけです。それ以降はお寺から案内も致しませんので、法要を行っていることすら記憶に残らないでしょうけれども。そこは改善の余地がありますが、案内をしても本堂に入りきれないという問題も有ります。
でも、永代供養のお勤めを、六ヶ寺の住職が一堂に会して行うなんて、あまり例がないと思います。それも、永代供養塔のあるお寺は一軒も無いのに。
斬新ですよ、これは。
年回法要はお勤めしませんが、一年に二回もお彼岸はあります。最近、自分の亡くなった後のことを心配して永代供養の相談を持ちかけられることが増えてきましたが、懺法講の話をすれば、それで安心してもらえそうな気がしてきました。
私も少し、気持ちが軽くなりましたよ。