書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

お中日におせんぼう

お中日。おせんぼうの日ですね。この秋彼岸は、太田の長栄寺様が当番寺院。組寺一同で観音懺法をお勤めしてきました。

始まる前に話題になったのが、掛け軸のこと。掛け軸に各寺の過去3年間の新亡霊位のお戒名を書き込んでいきます。3年に一度会場が回ってきた時に書くわけです。

いま5本目の掛け軸に書き込んでいるのですが、これが一杯になった時、今までの例で倣えば6本目の掛け軸を新たに用意して、書き加えていくことになります。

ただ、現時点での5本の掛け軸を飾るだけで、すでにどのお寺もスペースがギリギリ。6本目を追加すると、一番古い1本目の掛け軸は飾ることが出来ません。

懺法講にも会計があります。その一番古い記録が大正3年。戒名自体はもう少し前のものから記入されているようですが、ざっと100年の歴史のある講です。こんな事態を想像することはあっても、実際にそれがやってくる時が来ようとは、当時のご住職方もさぞ感慨深いことでしょう。

さて、一番古い掛け軸をかけられなくなると、なんとなく変な感じです。これが5本10本となれば気にならなくなるかも知れませんが、1本だけ飾れないと、なんだかその1本分のご供養が出来ないような気もして参ります。

加えて言うと、何かしらの災害で失われてしまった際の対応です。各寺院に過去帳がありますから、復元は出来ます。過去帳が残っていれば。その災害で同時に失われてしまったら、どうにもなりませんね。

そうしたら真っ白の状態から始めれば良いのかも知れませんが、1本しか無い掛け軸を観る度に、災害の記憶が呼び起こされるような気もします。もしかしたら真新しい掛け軸に大勢の…ということも考えられるわけですし。

案としては、全部データ化しておくとか、写真で取り込んで、掛け軸の代わりにプロジェクターで映し出す、いっそiPadで表示させて、指で動かして見てもらうとか。残しておく方法、掛け軸が一杯になった時の対処法、いろいろ案は出ましたが、決定打は欠いた感じです。

難しいですね。100年続けてきたことを、さらにもう100年続けようと思った時、何かを変えていかなくては続かないのかも知れません。

今後しばらくの課題となりそうです。