書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

実務担当者会議、そして地震

実務担当者会議も2日目。今日は事前に提出した質問・提案・要望についての回答が聞ける日です。それが一番楽しみでしたので、その前の時間のやりとりが、頭に残りません。


以前は1日目に回答を聞けたように思うのですが、今回は一番最後の枠で行う事になっていました。待ち遠しいったらありゃしない。


私は5つほどの質問と提案を提出しました。名義が私、と言うだけで、宗務所全体での意見ですけども。


でも質問者として私の名前が読み上げられるので、ドキドキしました。


そんなワクワクどきどきな時間もあっという間に終わり、お昼を浜松町の駅付近で食べて、私はそのまま帰路につきました。所長以下数人はすぐ近くの東京タワーを久しぶりに見てみたいと言うことで、そこでお疲れ様でした〜、となりました。


浜松町から品川まで山手線、品川から新幹線で浜松までひとっ走り!思ったより早く帰れそうだ、と思っていたのもつかの間。


地震です。
新幹線は停電のために自動停車。iPhoneで映画を見ていた私は、どこかの駅に普通に着いたのだと感じていたのですが、周りの席から聞こえる「止まっちゃったね〜」という声に反応して、ヘッドホンを外し、異常な状態であることを認識しました。


だいたい、車体すごい傾いたまま止まってるし。(ちょうどカーブだったので)


車内アナウンスは聞こえてこないので、こんな時のTwitterとばかりにiPhoneで調べ始めると、大きな地震が東北地方を襲ったことが分かってきました。目に入ってくる震度は「7」。それだけで、事態の深刻さは認識できました。現在地もiPhoneの地図アプリで確認。沼津新富士間であることが分かりました。


Twitterタイムラインに次々に流れてくる情報のおかげで、たぶんその車両内のだれよりも情報を持っていると思えるほどでした。ただ、事態が事態なので、誰かに話すというわけにもいかず。そのうちに運転士なり車掌なりから、アナウンスがあるはずでしたし。


10分ほどしてからでしょうか。運転士からアナウンスがありました。地震による停電であること。復旧まで2時間以上かかるであろう事が報告されました。この2時間、長いと見るか、短いと見るか。


それからはバッテリーを節約しつつ、引き続き情報収集。時折新幹線の状況を発信したり。


インターネットは不便無く使えたのですが、ソフトバンク回線は本当に電話が繋がりませんでしたね。他の乗客はときどき「やっとつながったよー」と言いながら話をしている声が聞こえてきたのですが、私の電話は一向に繋がる気配がありません。


仕方ないので、持ち合わせていたPocketWifiでWifi環境を作り出し、嫁さんのiPhoneにFaceTimeで接続しました。この非常時に、無駄にテレビ電話です。


SMSも通じないし、MMSは遅延してるみたいだし、他のメールは着信がすぐに分からないしで、ほぼ唯一の連絡手段となったFaceTimeでした。ただ、バッテリーも温存しておきたかったので、連絡を取ったのは一度きり。


それ以降は、状況が変わる度にSMSでもなくMMSでもなく、インターネットメールで送信をしておきました。届くかどうかは分からないものの、いつかは届くであろうから。


2時間ほどして、新富士駅まで徐行運転するとアナウンスがありました。普段ならあっという間の距離なのに、ずいぶんと時間がかかりました。ただ、動いている間は、安心感がありました。


新富士駅で再び待つことになりました。動いていないと、次はいつ動けるのかと不安になってきます。幸いなことに、しばらくして、通常運転に戻るとアナウンスされました。車両の点検や線路の点検が終了したようです。


新富士駅を出てしばらくの間はスピードが上がらなかったのですが、徐々に加速していき、いつのまにか普段の景色の流れ方に戻っていました。これで帰れる、と思えた瞬間でした。


ただ、問題は浜松に着いてから。車内の電光掲示板でも、ネットの情報でも、在来線がストップしていることは分かっていましたから、そこからどうやって湖西の自宅まで帰るか、考えあぐねていました。


結果としては、新居に住む兄が迎えに来てくれて、事なきを得たのですが。こんな時に限って宗務所の鍵も持っていないし、浜松駅には人が溢れていると言うし、タクシーも出払っているだろうし、ほんとうに悩みました。


改札を出てしまったら、暖かい場所探すのが大変そうだったので、新幹線の待合室にとどまることにしました。ここで状況を見ながら、いろいろ考えることにしたのです。スタバもありますからコーヒーには不自由しないし。


品切れにならないうちにと、目の前の立ち食いそば屋で月見そばをかきこみました。お腹は満たされたし、後はこれからどうするか、だけです。


悩んでいるところに母からメールが来て、兄が迎えに行けるから電話をしなさい、と。喜び勇んで電話をかけると、さっぱり繋がりません。呼び出す風もなく、すぐに「接続できませんでした」と表示される始末。


ちょっと心配になって、iPhoneを再起動すると、今度はつながりました。後から分かったのですが、私の電話だけ、ずっと繋がらない状態だったようです。仕事が出来て先に帰っていた教化主事さんが、心配して何度も電話をかけてくれていたのでした。


どうも、回線が絞り込まれると、iPhoneの動作に不具合を来すことがあるようですね。これは恐ろしいことですよ。


品川駅14時10分発のひかり号に乗ったのに、うちに帰り着いたのは21時近くなってからでした。予定では16時半には着いているはずだったのに。


しかし、自宅に着いてからテレビをに映し出される映像を見て、自分が如何に幸運であったかと、思い知らされました。信じがたい光景です。


Twitter津波の情報も得ていましたし、映像から切り出した写真も見ていました。しかし、映像のもたらすショックは、計り知れないものでした。


津波というのは、あれほどまでに奥へ奥へと入っていくものかと。高波と違って、水が分厚い絨毯のように押し寄せてくることは理解していましたが、それでもあの光景は、想像を超えていました。


どうしようもない。何も出来ない。あらがいようがない。


阪神淡路大震災の時に、被害の全貌が見えてきたのは、地震から一週間ほど経ってからだったと思います。今回もおそらく、同じくらいの時間を必要とするでしょう。


津波という被害が加わっている分だけ、さらに時間がかかるかも知れません。はたして、どれほどの被害となってしまうのか。せめて、人的被害は阪神の時よりも少なくあってほしい。切に願います。


あの恐ろしい津波から、みんな、逃げていて欲しい。今はただ、祈るしかありません。2時間余りの新幹線缶詰。初めての経験でしたから疲労があります。しかし、そんなもの、屁でもない事態が起こっています。


みんな無事でいて欲しい。想像するのが、辛すぎます。