書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

檀信徒研修会2日目

2日目の今日は、知覧の武家屋敷をさらっと見学した後、特攻記念会館を訪れました。武家屋敷はさらっととはいえ、家の門のすぐ脇にトイレがあり、その理由の一つとして、街道を行き交う旅人の話を盗み聞きするためだというのがあげられていたのが興味深かったです。


情報収集の重要性というのは今も昔も変わりませんが、今ほど情報伝達手段の発達していなかった江戸時代においては、行き交う人々の会話も貴重な情報源であったことが伺えます。今も我々は世間話から地域の情報を得たりしていますが、それと似たような感覚だったのでしょうね。


特攻記念会館では、団体で行く利点が発揮されました。会館の人から当時の話を詳しく聞くことが出来ました。話しっぷりが独特で、ところどころよく分からない部分もありましたが。


しかしやはり、若くして戦場に散っていった彼らの話というのは、自然と涙が出てきます。あまりむごい。なぜこんな方法を実行したのか。それほどまでにして戦争を続けなければならなかったのか。


力を持っている人たちでさえも、大きな力の流れの中でいつの間にか流れに押し流されて、冷静な判断、当たり前の考えが出来なくなっていたのでしょうか。あまりにも若い彼らのためには、せめて、上層部の人間の、自己の保身のためという理由で、このような事態が引き起こされたのではないことを祈る気持ちです。


なぜ人間は戦争を未だに続けるのか。その答えは非常に難しいです。その探求よりも、時に至った際に、戦争を起こさないよう行動すること、戦争を起こさないとはどうすることかを探求すること、それが大切と思います。


仏教の教えに従い、修行を続け、仏様の真似をし通す、そうしていれば戦争など起こりようもありません。願わくば、世界中の人々が常に、その気持ちを持ち続けてほしいです。


生まれてきた以上、人は必ず死ぬのです。戦争などしなくても、若くして亡くなることも少なくありません。戦死でなくても、人の死は十分に悲しいのです。死の要因をいたずらに増やすことを、常に拒絶し続けられるように、日々の心がけをして参りたいものです。