書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

台風一過の中で

台風一過の晴天の中、あるお宅の一周忌法要をお勤めしました。久しぶりに汗ばむ陽気でしたが、昨日のような天気でなくて良かったと、皆さん一様に安堵した様子でした。


その家の当主が若くして亡くなられてから丸一年。早いような、長かったような。遺族はようやく気持ちの整理が始められる頃かも知れません。しかし、面と向かってその方の死に対してこなかった私には、まだ昨日のことのように辛く思い出すことがあります。


お寺の役の関係で、またおばあさんが私の祖母と親しかったこともあり、普通のお檀家さんよりも近しい間柄であったと思います。それ故に、身内のことのように悲しい出来事でした。しかし、身内でないが故に、いつのまにか葬儀も済み、四十九日も済み、百ヶ日も済み、そして今日、一周忌も済んでしまいました。


この分だと、私の気持ちの整理は付かないままに、三回忌を迎えてしまいそうです。幸いにも一周忌は私がお勤めすることが出来ましたが、三回忌は師匠が勤めるやも知れません。三回忌の場に居合わせず、気が付けば七回忌ということも考えられます。


なんとも切ない。
どこかで気持ちに区切りを付けなくては、いつまでも悲しい。


完全に他人であれば、いつのまにか記憶から薄れていくのかも知れません。しかし、副住職として、お年忌の場に居合わせれば思い出し、位牌堂でお位牌を見れば思い出し。思い出すきっかけには事欠きません。


死に、とても近い生活をしていながら、なかなか克服は出来ずにいます。自分の死を受け入れることよりも、誰かの死を受け入れることの方が、難しいのかも知れません。


台風一過の空は、透けるような青空なのに、私の心は曇ってばかりです。