書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

正太寺通信のネタにもなる

宗務所の職員会議に向かう道中、FM放送を聞いていたら飛び込んできた言葉です。「ゴミを捨てないのは当たり前」その後の言葉をはっきりと覚えていないのですが、「拾って帰るぐらいじゃないと」という意味合いの言葉でした。ゲストがサーフィンする人だったのか、海に行ったら必ずそうしているとか。先輩が、乗った波の数だけゴミを拾って帰る、と言っていたのに感動したそうで、うん、それはかっこいい。ゴミが落ちていることに文句を言うのではなく、それを拾って帰る姿がとてもかっこいい。


映画やドラマ、CM。空き缶を投げ捨てたり、たばこを捨てたり、そういうシーンは多いものです。それがまたかっこよく描かれていることも多いものです。
それに引き替え、「ゴミを拾う」というのは、華やかなかっこよさとして描かれることはほとんど無いように思います。少なくとも、私は見たことがありません。地道にゴミを拾う感動ドキュメントなら見たことありますが、かっこいい役者が、映画やドラマの中で、かっこよくゴミを拾うシーンは見たことがありません。


腰をかがめて、もしくはしゃがみ込んでゴミを拾うというのは、きれいには描きにくい場面かとは思います。でも、そこを技術でカバーしてもらって、「ゴミを拾うって、こんなにかっこいいことなんだ」「ああやってゴミを拾えば、かっこいいんだ」「ゴミを拾うって、もてることなんだ」と思える映像を作ってもらいたいです。


視覚に訴える映像って、影響力強いですよ。
・・・今度サークルで映像を作るとしたら、そんな路線で行きましょうか。ねぇ代表。


話を最初に戻しましょう。
ゴミを捨てないだけでは当たり前なのです。
自分は捨ててないけど、人のゴミも拾って帰る。ゴミを捨てる人がいる傍らで、もくもくと拾って帰ってくる。もしかしたら、その姿を見て、罪悪感を感じてゴミを捨てるのをそれ以来止めてくれる人が出るかも知れない、出ないかも知れない。
そこに期待をせずに、ただ黙々と、自分の信じる行いをする。それはまさに仏道ですよ。


今度どこかへ出かけたら、ぜひゴミを拾って帰りましょう。立ち寄り先全てで拾うのは大変でしょうが、後は帰るだけ、と言う時でしたらがんばって、多少ゴミが自分の荷物を占拠しても我慢して、拾って帰りましょう。
私もがんばります。