書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

還暦のお祝い

昨年、師匠が還暦を迎えました。そのお祝いにと、師匠の同級生たちが衣を贈ってくださいました。
その衣が出来上がってきたので、先日そのお披露目を兼ねて、同級生がたに集まっていただき、各家のご先祖様をご供養する法要をつとめました。


私もその法要に参加し、いつもとは少し違う雰囲気に、座った途端に緊張が押し寄せてきたのですが、なんとか無事に終えられました。そして法要後の師匠のあいさつの時、話の最後に、「これからもよろしくお願いします」といった時、声を詰まらせていました。



同級生ですから、みんな還暦のお祝いだったのです。でも、師匠にだけ、特別な贈り物をくださいました。正太寺の住職だからなのか、人柄のためなのか、その両方か、あるいはもっと別の理由か。みんないろんな思いで協力して、贈り物をくださったんです。


私は、副住職という少しだけ特別な肩書きがあるだけで、同級生であってもなんとなく微妙な距離があるような気がしてしまう時があるのですが、それはきっと師匠も同じように感じることがあると思うんです。でも、師匠の周りの同級生たちは、そんなこと関係なく、一人のなかまとして接してくれていて。それでもやっぱり、ちょっと特別にお祝いしてあげようと、いうような、そういう優しい気持ちのあふれる人たちなんですよね。そういう気持ちが伝わってくるから、師匠もうるうるとしてしまったんだと思います。


私の周りの友人たちも、師匠の同級生と同じように、僧侶としてでなく、一個人として接してくれます。微妙な距離を感じるのは、私が勝手に感じるだけですし。友人たちと接していると、そんな距離はどこにも無いんだと確認できて、とてもホッとするんです。世間的に見れば、「副住職」という肩書きはやはり、少し特別なものでしょう。そういう存在だと思って接して頂けるのも、まだまだ力不足な私にとっては、大変ありがたいことです。いつだって、どんな瞬間だって私は僧侶です。人に何かを言う時は、常に僧侶として発言します。それが私にとってもっとも自然な姿勢です。


でも、私がそういう姿勢をしていても、一人の友人として接してくれる人たちがいるというのもまた、とてもありがたい。うれしい。
師匠のように、あんな場面で、泣きそうになりながら話が出来るように、大切な友人たちとの関係を、これからも大事にしていきたいです。