書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

冬タイヤへ履き替え準備

私の使っている車のタイヤを、冬タイヤへ履き替えするため、保管してある冬タイヤを車屋さんへ運んでもらいました。湖西市でもたまには雪が積もるので、そんな時にも一台は車が出せるように心がけているんです。

ある年、履き替えをする時間がなくて積雪を迎えてしまったことがあり、大変困りました。その失敗を繰り返さないようにしています。

以前の車はタイヤを積んで車屋さんへ乗り込むことが可能だったのですが、車が小さくなったので、4本積むことができなくなってしまいました。車屋さんに相談したら、取りに行きますよ、とのこと。日を改めて今度は車を取りに来て、交換して納車して、さらに夏タイヤを運んできてくれるんです。一年前に車を買い替えた際には冬タイヤで納車でしたので、春に夏タイヤへ履き替えた際に、すでに一度同じ作業をしてもらっています。東名高速を使って移動するはずなので、往復の交通費だけでも結構かかるのですが、夏タイヤへ履き替えたときの記憶が正しければ、工賃は大変お安かった。社長に怒られないか心配したのですが、大丈夫ですと胸を張って答えられてしまったので、今回もお世話になります。

車を買っていただいたから、という理由なんですけれど、この先10年は買い替えないと宣言しているのに、大丈夫なのかなぁ。おつきあいの年数で言えば、もう20年を越えます。創業当時を知っている割と古参のお客の部類に入ると思いますが、そこは商売ですからね、儲からないお客にはあまりサービスも出来ないと思うんですけれど。

今日は土曜日なので、おときはお休み。法事が一件だけ。晩御飯は家族で外食に出かけました。いつもは17時にお店に入るようにしています。この時間だとどこのお店でも待つことなく入れるんです。でも今日はもたもたしていたら遅くなってしまい、子どもたちのリクエストのお店に着いた時には17時半ごろでした。そしたらもう、満席。数店舗巡って、ようやくすぐに入れるお店に巡り合いました。おかしいな、ここはもっと混雑していていいはずのお店なのに。それでも美味しく食べられて幸せでした。

冬タイヤへ履き替え準備

私の使っている車のタイヤを、冬タイヤへ履き替えするため、保管してある冬タイヤを車屋さんへ運んでもらいました。湖西市でもたまには雪が積もるので、そんな時にも一台は車が出せるように心がけているんです。

ある年、履き替えをする時間がなくて積雪を迎えてしまったことがあり、大変困りました。その失敗を繰り返さないようにしています。

以前の車はタイヤを積んで車屋さんへ乗り込むことが可能だったのですが、車が小さくなったので、4本積むことができなくなってしまいました。車屋さんに相談したら、取りに行きますよ、とのこと。日を改めて今度は車を取りに来て、交換して納車して、さらに夏タイヤを運んできてくれるんです。一年前に車を買い替えた際には冬タイヤで納車でしたので、春に夏タイヤへ履き替えた際に、すでに一度同じ作業をしてもらっています。東名高速を使って移動するはずなので、往復の交通費だけでも結構かかるのですが、夏タイヤへ履き替えたときの記憶が正しければ、工賃は大変お安かった。社長に怒られないか心配したのですが、大丈夫ですと胸を張って答えられてしまったので、今回もお世話になります。

車を買っていただいたから、という理由なんですけれど、この先10年は買い替えないと宣言しているのに、大丈夫なのかなぁ。おつきあいの年数で言えば、もう20年を越えます。創業当時を知っている割と古参のお客の部類に入ると思いますが、そこは商売ですからね、儲からないお客にはあまりサービスも出来ないと思うんですけれど。

今日は土曜日なので、おときはお休み。法事が一件だけ。晩御飯は家族で外食に出かけました。いつもは17時にお店に入るようにしています。この時間だとどこのお店でも待つことなく入れるんです。でも今日はもたもたしていたら遅くなってしまい、子どもたちのリクエストのお店に着いた時には17時半ごろでした。そしたらもう、満席。数店舗巡って、ようやくすぐに入れるお店に巡り合いました。おかしいな、ここはもっと混雑していていいはずのお店なのに。それでも美味しく食べられて幸せでした。

今日のおときは半日。午後は宗務所へ

宗務所任期満了まで、執務日は今日を入れて後二日。まだ哀愁は漂いません。時間が足りないという焦りばかりです。

午前中に暮れのおときに回り、終わり次第宗務所へ向かいました。新宗務所に切り替わってすぐ、臨時宗務所会が来週開かれます。その時の書類は前任者が用意しておくのが習わしとなっています。あらかた作成してありますが、点検は必須です。短い時間の中で足早に確認をしていったので、若干の不安はありますが、書類は最終的に宗務庁へ提出するものです。宗務所会の場が最終点検の舞台だと考えれば、多少のミスは問題ありません。

晩方から、新職員による打合せ会が開かれるようです。まだ職員に就任していないので職員会議という名称は使わないという微妙な気遣いが発動されています。宗務所内では全く問題になりませんが、いずこかで文句をいう人が出ないとも限りません。トラブルは未然に防ぐ、事務屋の基本です。

いつになったらこの忙しさから抜け出せるのかと考えていましたが、嫌でも月曜日でおしまいです。全然嫌じゃないですけれど、仕事が片付いていなくても月曜日でおしまいです。就任したての庶務主事さんに余分な仕事を残しておくことのないように、後1日、頑張ります。

集中、集中

朝から晩まで暮れのおとき。午前中は法事もあったのですが、師匠が、自分が受けたからと、お勤めしてくれました。私はおときに集中です。

まだ序盤なので、正直言いましてお経が出てこなくなる時があります。数え切れないほど何度も何度も読んでいるお経ですが、それでも途中で止まります。不思議なものです。ですので常にお経本は携行していますし、おときの序盤では必ず取り出して、いつでも目を落とせるようにしています。もはや、お経が止まったときの仕草も堂々としたものですけどね。

昨年の暮れのおときからだったか、今年のお盆からだったか、iPad miniをお経本として持ち歩いています。幼い頃から使い続けてきたお経本が流石にボロボロになり、修繕も不可能という状態。新しいお経本に切り替えてもいいのですが、これを良い機会と捉えて、お経本もデジタルへ、という実践です。実際にお経本アプリも出ていますから、さほど珍しいものではないのですが、僧侶がお檀家さんのお宅で使用するお経本をデジタルにするというのは、まだ珍しさはあるんじゃないかなと思います。少なくとも近隣では聞きません。

ボロボロになったお経本から、おときで使うお経のページをスキャナーで読み取って、Photoshopで切り抜きます。切り抜きができれば良いのでPhotoshopでなくてもかまいませんが、手元にあるので考えることなく使ってます。

保存はPDF形式に。画像一枚につき一つのPDFファイルを作っていきます。出来上がった複数のPDFファイルを、Macのプレビューアプリで一つのPDFファイルにまとめてしまえば出来上がり。Photoshopでそこまですることも出来るようですが、プレビューアプリでの操作が手軽すぎるのでそうしています。

私はお経ごとにPDFファイルを作っていますが、おとき用とか、法事用とかのまとまりで複数のお経を連続して見れるように作ったほうが使いやすいかもしれません。

iPad miniでの閲覧は、「i文庫HD」を使っています。PDFが開ければなんでも良いとは思いますが、i文庫HDは自作のPDFを縦書きの本として認識させるのが簡単だったので使っています。動作も軽く、お経を読みながら別のお経を開いて次の準備をするという時にも操作性が良くて気に入っています。

iPad miniを使っているのは、持ち運びの際のサイズ感のためです。見易さを考えれば手持ちの機器の中ではiPad Proの12インチが最も適しています。でも大きすぎます。普通のiPadでも然り。やはりiPad miniがちょうど良い。車載ナビとしてもちょうど良いし、大活躍です。iPad mini4以降、数年間後継機が出ないのが気になっています。このままシリーズ消滅は困ります。なんとかこのサイズを続けて欲しいです。

ゆくゆくは葬儀の際にも使いたいなと思っていますが、まだ踏ん切れずにいます。流石に人の目が多いので、評判が気になるんですよ。多分、いずれかのお寺さんではすでに当たり前のように使われていると思うんですが。まだ法事で実践していないので、まずはそこからですね。法事の際の法話の時にも活用したいのですが、そうなるとiPad miniではサイズがちょっと小さいのが困りもの。いやでも、iPadと二台持ちで法事に行くのもねぇ。重量が増すばかりです。

暮れのおとき開始。夜は新職員歓迎会

暮れのおときが始まりました。一時期、毎日お経を読んで回りという行為を、ひどく辛いものと感じていました。膝は痛みに悲鳴をあげるし、かかとはお尻に触れるだけで痛みが走るし、喉は常に傷んだ状態になるし、まともな体調を維持できないほどにまでなります。

その辛い日々を支えているのが、お檀家さんとの会話でした。お経の前、後。時には後のことを忘れて話し込んでしまうこともしばしば。でも、そうして直接お檀家さんとお話しできる機会というのは、滅多にないことです。それが楽しくて、もはやそのためにお経に回っているとも言えるほどです。

その気持ちは今でも同じように持っているのですが、辛いという気持ちはほぼ薄れて無くなってしまいました。理由は簡単で、1日に回る軒数を減らしたんです。今までは半日に7軒ずつというのが平均でした。これが今、6軒になっています。このたった1軒の差が大きい。6軒目までは元気なのに、7軒目からは膝とかかとが痛み出し、8軒ともなると声が極端に出にくくなります。6軒というのは、魔法の数なのです。

その分、全体の期間は延びました。8日スタートで20日ごろまでかかっていた日程が、今年は5日スタートです。三日も早まっています。暮れのおときなので、少しは年末の雰囲気が出始めてから回るのが理想ですが、是非もありません。

お盆についても同様で、なるべく1日あたりの軒数が少なくなるようにしています。今までは途中に半日空いている日を設けていたのですが、それを省いて、ぎっしりと埋めました。葬儀が出来たりすると予定がずらす余地がないので慌てますが、半日あたりの軒数が減らしてあるので、葬儀を勤めながら、なんとか回れてしまいます。その日はしんどいですけどね。

そんな具合で辛い気持ちが無くなってくると、残るのはお檀家さんとおしゃべりできるという喜びのみ。楽しい期間ということになります。思い立ったことをすぐに実行出来ないという時間的な拘束は変わりませんが、気持ちの持ちようが全然違います。浮かんでくるアイデアも自然と前向きになります。追い込みすぎゃちゃダメなんだなと、つくづく実感しています。

夜は浜松まで移動して、宗務所新職員の歓迎会です。入れ替わりで退任しますから、歓迎というのも変な感じ。激励会と行ったほうがいいかもしれませんが、日中の引き継ぎだけではじっくり話せないことを、夜の時間まで使って、色々と話していこうという趣旨です。そうはいっても暮れのおときの最中ですから二次会までは無理。幹事的立場でありながら、一次会の支払いを終えたら帰路に着きました。今月はまだ連合宗務所会にて一緒に時間を過ごせますし、来年に入ってから、慰労会を催してもらえることになっています。その時にはじっくりと、と思います。新庶務主事さんはすぐに感覚を掴んで私以上にスムーズに仕事をしてくれると確信できる方ですので心配は皆無なのですが、新書記さんたちは戸惑うことばかりでしょうから、色々教えてあげたいこともあります。あんまり出しゃばっちゃいけないですけどね。

暮れのおときを控えて

明日から暮れのおときが始まります。お盆と同じようにお檀家さんを一軒一軒お経を読んで回ります。お盆と違うのは、入出と太田という極至近距離だけを回るという点です。軒数にしても50軒ぐらい少ないですし、暑い夏と比べれば疲れ方もかなり優しめです。お盆と比べれば、前日になっても幾分リラックスしていられます。

この期間の大きな特徴としては、自由になる時間が極端に短くなること。そして、そういう時こそ、やりたいことがどんどん湧いてくる時です。それらにすぐに取り掛かるわけにはいきませんが、思いついたらメモを取るという当たり前のことを当たり前に行って、おときが終わったら直ちに取りかかれるようにしたいと思っています。

なんで忙しいと、やりたいことが増えるんでしょうね。暇な時間はなんとなくゴロゴロしてしまうのに。

人間の七不思議なのか、私の七不思議なのか、厳密に探求すると自分への批判ばかりが大きくなりそうなのでやめておきますが、それよりも今年はどんなことを思いつくのか、自分の頭の中の変化が楽しみです。

宗務所のデータが手元を離れていく段階になりました

いよいよ宗務所の任期満了まで一週間です。庶務主事パソコンも新しいものを入れ、データを移行していきます。データ自体はDropboxで大半を管理していますから、アカウントを移行するだけ。外部からのきた書類の管理用に使っているEvernoteも同様です。新しい庶務主事さんは現役の職員ですので、当然これらへのアクセス権は既に持っていますが、私が持っていた管理者としての権限をさらに追加して、今後の管理をお願いする事になります。

それらを徐々に行いつつ、任期満了となる10日の夕刻には、現職員のアクセス権を失効させ、新職員へ移管できれば良いなぁと思っていますが、引き継ぎの都合上、完全に失効させてしまうとそれはそれで不都合もあるかもとちょっと悩み中。

まあでも、本来であれば完全シャットダウンが良いんですよね。引き継ぎ不足の部分は、宗務所に赴いて対処する、と。ああでも、私自身がそれはめんどくさいなぁ…