書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

得度式が無事に終わりました

息子の得度式が無事に終わりました。彼はもうお坊さん。

とはいえ、昔のように今日から直ちに厳しく修行をしていくわけではありません。今までと変わらぬ日常生活を送りながら、しかしその生活の芯として、自分は僧侶であるという自覚を徐々に強くしていく。それが現代の、そして小学生の頃に得度をした者の一般的な過ごし方です。

直ぐに何か変化が起こるわけではありません。でも、今日こうして得度式を行ったという事実は、確実に影響を及ぼします。テレビ番組でお寺が映った時の見方も、今までとは違った見方になってきます。少しずつ、少しずつ、自覚が強まっていけば良いなと願っています。

私はお盆のお経の手伝いをしながら、檀家さんとお話ししたりして、孫のように可愛がってもらって育ちました。今は正太寺のお盆が6月になったために、息子にはそうした経験をさせてあげられません。せめて土日、部活がない時などに、少しでもお盆のお経に連れ出したいと思っています。できれば自ら願い出てくれるのが理想ですが、なかなかそういうわけにはいかないだろうなぁ。

私は自分から言い出したのです。得度をしたのも、そのため。師匠が言うには、私を得度させる気はなかったそうです。あの時、得度をしていなかったら、私はどんな人生を歩んでいたのだろうか。今よりちゃんとまともな収入を得て、老後の生活まで見通せるような人生を送れていたでしょうか。まだ後継者ではなかった中学生時代、私の思い描いていた人生は全く別のものでしたけれど。

二人の兄がお盆の手伝いをして、お小遣いをもらっていたのです。それが羨ましくて。お小遣いが欲しくて言い出したのですよ。得度の理由はお小遣い・・・

僧侶の第一歩として、最もふさわしくない動機でした。

あの頃のお金への執着心が少しでも残っていたら、正太寺の経営ももう少し安心して見ていられるものだったかもしれません・・・

この秋、晋山結制を無事に終えられると、今後は後継者としての弟子の育成をしながら、お寺を切り盛りしていくこととなります。視線は常に前を向いて。経営環境としては悪化の一途を辿っていますが、できればちゃんと生活していけるお寺としてバトンを渡したいなと思っています。今のままではバトンを渡しづらい。

前を向いて。僧侶として地に足をつけて。その上で努力を続けていれば、どんな時でも檀家さんが支えてくれると信じて。

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