書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

お葬式で泣いてますか?

周囲で色々あったので、数百字書いた日記を全消しして、涙の話。

人前で泣くというのは恥ずかしいと考える人は多いと思います。でも、葬儀の場は、別です。親族でなくたって、泣いても良いんですよ。むしろ泣きたいほど悲しいのであれば、隠さずに泣いてください。泣いてくれる人がいるというのは、お身内にとっては大変嬉しいものです。

訃報に接して、泣きたいと思ったら、その場で泣いてしまいましょう。電車の中だって構いません。泣くんです。泣いて良いんです。

大切な人が亡くなったら、泣くのは当たり前なのです。別れることは苦しみです。その苦しみを抑えつけると、心も体ももっと苦しみます。泣くことで外に出すんです。つまり、自分のためにも泣いた方が良いんです。

そして、訃報に接して泣いてしまうほどであれば、葬儀にしっかり参列しましょう。下手に休むと解雇されかねない世相が長く続いていますから、和尚として百歩譲ってお通夜だけでも構いません。故人の顔を見て、そして泣きましょう。

誰もが納得する長生きで、気持ちよく旅立っていった人を見送るのに、涙がふさわしくない場合もあります。ありますけども。生前に、もしもの時は笑って送ってほしいと頼まれているというケースもあります。そういう約束は守りたくなるものです。そうではありますけれども。それでもあなたが涙を堪える理由にはなりません。

お身内の方が堪えきれずに泣くことは普通です。出棺の際には涙が流れるものです。それに触発されて、周囲の人も涙を流します。みんな堪えてるんです。あなただけじゃないんです。だから、泣いて良いんです。みんな泣きたいんですから。当たり前です。大事な人が亡くなったのですから。

葬儀の場にいて、泣いちゃいけない人なんて、1人もいません。私もね、泣くことあります。儀式進行が止まってしまいますから、極力そうならないように心がけて備えをしていきますが、堪えきれない時というのはあるものです。

正直申しまして、たくさんの人が泣いてしまう、いわゆる泣き葬式というのは、葬儀を勤める側にとってはなるべく出くわしたくない場面です。どうしても感情を揺さぶられて、飲み込まれてしまいます。私などはそういう傾向が顕著なので、泣き葬式は避けて通りたいぐらい。

それでも、参列の皆さんには、堪えずに泣いてほしいのです。それほどに、涙を堪えるというのは心身の負担になるからです。その負担は積み重なっていきます。生涯を通して積み重なっていきます。その負担に耐えきれなくなった瞬間(多分その瞬間になるまで積み重なっていることに気づかないと思いますが)心が壊れるんです。

自分の身の回りの人の死にしか接しなかった大昔と違い、今は電波やネットを通じて、訃報がどんどん届けられます。芸能人など、面識がなくともよく知っている(気になっている)人の死というのは、知り合いの死と同じぐらいの負担を生み出します。心の耐久値がどんどん奪われていくんです。

だから、ちゃんと泣きましょう。泣きたいほどの悲しみを感じたのなら、泣きましょう。泣いて不安定になりましょう。心の耐久値さえちゃんと残っていれば、泣いて不安定になっても、ちゃんとまたピシッと安定しますから。

——————————

基本的に毎日書いてます。 何か共感できる内容がありましたら、ぜひSNSでシェアしてください。喜びます。
noteも結構書いてます
Bloggerにブログも書いてます。こちらは数日置き更新。「もばいる坊主