私の知っている和尚さんの中で、髪の毛のある状態を知っている方はほんのごくわずかです。仕事の都合で髪の毛を剃るわけにはいかず、世間に溶け込める髪型を維持している、そういう方だけ。
そこでふと思ったのが、私の知っている頭がツルツルの和尚さんたちの、髪の毛のあった時代はどんな顔だったのだろう、と。 (髪の毛が無くなったわけじゃなくて、剃ってるんだけど)
髪の毛のある無しで、顔はとても変わります。自身の顔についてはどちらの顔も見慣れているので違和感は感じません。時折、引き出しの奥から高校生の時に取得した危険物取扱者(乙種四類)の顔写真付きの免許状(白黒)が出てきて小っ恥ずかしい思いをするぐらい。
師匠も出家前の写真を見ると、なかなかハンサムなんですよね。私が生まれた時にはすでにスーパー五厘刈りだったので、その趣は一切感じることはなかったですけれど。
ちなみに私は一分刈り。子供ときは五厘刈りでしたが、修行中に剃っていたらひたすら風邪ばかりひいて、これは髪の毛が無いとダメだということで、正太寺に戻ってからはずっと一分刈りです。
剃った方がお金かからなくて良いんですけれど。まあ、床屋さんでおしゃべりすると、良いこともありますんでね。
剃っても風邪をつかない体質になったら剃るようにしたいんです。今のところ、一分刈りにしたその日から2日ぐらい喉が違和感持つので、実現の見通しは立っていません。
あの方が髪の毛あったら。
あの方が2ブロックだったら。
あの方がロングだったら。
あの方がアフロだったら。
そんなことを想像しています。題材にされた方には、謹んでお詫びを申し上げます。
でも、そのイメージから、出家に至り、修行をし、今の姿があると思うと、髪の毛ひとつとってもその人の歴史が詰まっているよなぁ、と感じますね。
私自身にそうした歴史があるように、皆さんにも、私の知らない歴史があるわけで。現状がどうであれ、これから先も、一歩一歩大切に歩んで行かなければと、気が引き締まりました。
——————————
基本的に毎日書いてます。 何か共感できる内容がありましたら、ぜひSNSでシェアしてください。喜びます。 noteも結構書いてます。 Bloggerにブログも書いてます。こちらは数日置き更新。「もばいる坊主」