書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

食う寝る坐る

「食う寝る坐る永平寺修行記」という本がありまして。

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時々この日記にも登場する浜松のお師匠さんから先日借りて、ちょっとずつ読み進めています。

私が修行したのは同じ曹洞宗の本山でも、總持寺の方。永平寺とはまたちょっと違っています。1枚岩の曹洞宗でも、本山ごとに流儀がありますし、各地方の専門僧堂にも同じように流儀があります。特に地方の僧堂は、その時の堂頭(普通のお寺でいう住職)の指導方針によって修行内容が色々と変わりやすいイメージがありますが、本山は本山で、個人の方針というよりも、大きな力のうねりの中で少しずつ細かなところが変わっていくイメージがあります。

まあつまり、お寺が変われば修行も変わるのです。その根幹部分はなんら変わらないのに、いろんな形になるわけです。修行の仕方に悩まなくて良いように、道元禅師が事細かに修行内容を整えてくださったわけですが、それでもなお。

永平寺總持寺で違いは多々あるものの、大まかな流れは同じです。この永平寺修行記はびっくりするぐらい詳細に修行内容が書き留められていて、總持寺で修行した私でも、当時を思い出しながらふむふむと読める内容です。具体的な修行内容が知りたい方には、お勧め。

ただ、思うに、總持寺で修行したから読める本だと思います。永平寺で修行していたら、上山直後のとても辛かった日々がフラッシュバックしてきて、読み進められないんじゃないかな、と思うのです。

ひと月もすればいろいろなことを覚え、体も馴染んできて、上山直後の右も左も分からない状況とは全然違ってくるので、辛いという気持ちは薄れていきます。ですから本山修行の思い出としては辛かったというものは後回しで思い出されます。でも、事実として、非常に辛い時期はあったのです。

その時のことを思い出してしまうのは、かなり辛いんじゃないかな。私の場合は、總持寺ではこの点は楽だったなぁ、とか比較しながらちょっと気持ちを他に逃して読んでいけるのですが、永平寺で修行した方にとっては、逃げ場がないというか。

何年も修行した方であっても、あの辛い時期は必ずあったはずですから。他の僧堂で修行してから本山に上がった人ぐらいじゃないかな、あの時期を辛く思わずに過ごせた人は。普通の一般社会から突然修行の世界に入れば、面食らうに十分なほどに日常が天と地とひっくり返るぐらいの変化をしますが、他の僧堂から移ってきた場合、それまでの日常となんら変わらない世界であったでしょうから。

というぐらいに、永平寺での修行内容が知りたい方にはお勧めです。まだ3分の1ほどしか読めていないので、読了した上での感想ではありませんが。いずれ修行に行かなくてはならない、できれば行きたくない、そう考えているお寺に生まれたお子さんにはお勧めしません。何も知らずにいた方が、それまでの生活を充実させられると思います。どうせ行くんですから。

世襲しなくてもお寺が維持できる世の中なら良かったのですけれどね。

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