書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

卒業式のハシゴ

子ども達の卒業式でした。小学校と中学校。同じ学区なので、午前と午後に分けて開催されます。

たまたま同じタイミングでの卒業となるため、私たち夫婦は朝から大忙し。本人はそれぞれ自分の式だけなので、緊張はしているものの、忙しくはない。親だけが浮き足立っているような画にも見えます。

実際、めでたく卒業する子が二人もいるのですから、気持ちは浮ついていますよ。

PTA会長として参列した前回の卒業式と思うと、何の緊張感もなく、ただただ浮ついているだけです。良いものですね。

泣かないようにするのは難しいので、こういうときは泣くもんだと子ども達にも言い、自分が泣いたときの正当性も確保しておきました。

小学校の卒業式では、体育館に大きく子ども達が広がり、保護者がそばまで行ったところで、手紙を読み上げてくれるという演出。こんなもの、我慢できないですね。

式の後、校長先生のお話でもう泣きそうだったよと話したら、子どもも同じだった、と。必死に我慢したそうです。でも、クラスの中でも私たちは泣くから!と宣言してあったそうで、私と同じ手法を取っていてびっくり。

式の直後の教室で、大好きな担任の先生の読み上げた手紙には、さすがに堪えきれなかったと言います。でも、感謝と寂しさの混じったその涙は、先生にとって何よりのプレゼントだったと思うよ。ちゃんと泣けて、偉かった。

コロナ禍での卒業式。在校生は参列できず、式後のみんなで写真撮影タイムも、撮るたびにマスクを着け外しして、でも子ども達はその煩わしさにもすでにすっかり順応していて、頼もしいです。

中学校の卒業式は、こちらはさすがに中学三年生。立派なものでした。名前を呼び上げられた際の返事は、小学生の方がちょっと大きかったのですが、中学生の返事は、その一瞬に、緊張と恥ずかしさと、それを乗り越える気持ちと、そうしたものがギュッと詰まっているのが伝わってきました。

式後の様子も小学校とは一変します。みんな、スマホを使って自分たちで撮影します。親はあまり出番がありません。6年生の時の担任の先生も駆けつけてくださって、かつての教え子たちに囲まれていました。私たちの頃には無かった光景です。人が多すぎたからなぁ。

実は、午前中に小学校でお会いした際、中学の卒業式にも行きたいけれど、コロナのこともあるからどうしようか悩んでるとおっしゃっていたので、来てくださったら子ども達きっと喜びますと、ふんわりお誘いしていたんです。そうしたら、昇降口を出たあたりで待っていてくださって。

かつての担任の先生が、3年たった今も気にかけてくださっているというのがはっきり伝わって、これからの人生の心の支えになったと思います。見ていてくれる人がいるというのは、とんでもなく心強いですからね。

うちの子たちは、つくづく良い先生に巡り会えたなと、感謝ばかりの一日でした。

小学生は、そのまま全員同じ中学に。だからまだまだ友達関係が続きます。でも中学生は、みんなバラバラの高校へ進学です。今までの友達と会える機会もぐっと減ってしまうでしょう。ただ、今はスマホを使っていつでも連絡が取れますから、そういう意味では自分の時代よりも、はるかに繋がりを維持しやすくなっていると思います。

親の目から見る限りでは、いじめというもののない友達関係が築けているようですから、今まで以上に大切にしていって欲しいなと願っています。

我が子たちよ、卒業、おめでとう。父は、ついついにやけてしまうのを抑えられないぐらいに、喜んでいます。

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