書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

宗務所日記

宗務所日記もこれで何回目でしょうかね〜。4年の任期もそろそろ半分になろうとしています。今年度から月曜日に当番日が移ってからは、なんとなく業務が減ったような気が。お客さんも来ないような気がしますし、宗務庁から届く郵便物も少ないような。今の水曜日の現状と比較してないからはっきりとは分かりませんが、曜日によって仕事量に差があるような気がします。


来年度もそのあたり鑑みて、当番日の再編成が必要かな。私の権限ではありませんが、提案してみる必要はありそうです。


次女が生まれ、長女に振り回されている最近は、宗務所で暇な時間が出来ると、それが自分のやりたいことの出来る時間となります。これがかなり貴重。気になっていた情報を追っかけたり、テレビの代わりにニュースサイトを眺めたり。あんまりテレビのニュースを見てないので、時事情報収集タイムなのです。


職員との会話も大事ですね。最近市内であった死体遺棄事件も、今日初めて知りました。現場はお寺から車で10分ぐらいの距離です。かなり近く。普段の行動範囲です。怖いですね・・・


死体があったということがじゃなくて、そういうことの出来てしまう人間が、近くにいるということが怖いです。見つけたら説教しなきゃならない立場ですが、まだ命は惜しいなぁ。こういうときは、出家を第一と考えられたお釈迦様を始め代々のお祖師様方のおっしゃる言葉が身に染みます。


後継者の確保だとか、なんだかんだと理由を付けたところで、後先考えずに仏の道を貫き通すには、いつ命を失っても良いようにしておく必要があるんですよね。ま、そこだけを捉えれば、家族を捨てることではなくて、家族に理解を得るという形でも実現は可能でしょうけれど。


そういう理屈もあって妻帯が許可されたのかなぁ。


しかし、家族を持たなくては得られないものもあるわけです。お釈迦様は妻子を得た後に出家をされました。直接的に妻子を守るのではなく、自分が悟りを得ることで、妻子を始め多くの人を救う。すごい覚悟ですよ。


私の場合は、形としては出家をした身となっています。修行もし、師匠から法を受け継ぎ、これであとは住職になれば、次の代に法を伝えることも出来るわけです。そういう状態でありながら、現実としては家族が居て。


なんともかんとも難しい状態であるわけです。


多くの人を仏法に導き、家族もまた仏法によって幸福へと導く。それを両立させられればなんの文句もないのですけれど。高い高い壁ですよ。