書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

英霊の位牌から話が発展していく

宗務所にて。
昼食を食べながら、何の話から始まったのか分かりませんが、いつのまにやら戦没者のお位牌の話になっていました。曹洞宗に限った話ではないと思いますが、今現在、戦没者のお位牌は、ご先祖様のお位牌とは分けられています。ご先祖様と同じお位牌に、お戒名が無く、そのかわりに特別なお位牌があるんです。形も違っていて、普通のお位牌よりも意匠が凝っています。


その意匠も戦時中の世相を反映していて、例えば太平洋戦争時、開戦当初は金箔の貼られた立派なお位牌だったものが、終戦に近づくにつれて金箔のはられた面積が狭くなってきたりします。ご家族が戦死されると、たぶん何らかの形でお金が国から送られたと思うのですが、それが次第に少なくなっていったらしいという話です。


歴史的な資料でもあるわけです。


それはともかく、私としては、いつまでも違うお位牌でおまつりしていては、寂しかろうと余分な気を遣ってしまうのですが、現にお子さんを亡くされた方や兄弟を亡くされた方にしてみれば、まだまだ特別な出来事として分けておまつりをしたい気持ちが強い(というか、当然のようにある)のではとも、思います。


そんなような話をしながら(実際には上数行の話は口にでしてはいませんが)、気がつくと今度は過去帳の様式の話へ移っていました。


お寺にある過去帳というのは、基本的な様式というのはありますが、細部はお寺毎に様々です。お戒名以外に何を記し、何を記さないかは、時の住職の考え方次第。しかし昨今は、個人情報保護の観点や、部落差別などの差別問題への配慮や対処として、余計な物は記録しないというのが大きな流れとしてあるようです。


もっとも、一言メッセージなどが書いてありはしないので、余計な物とは何だろうとも思います。


過去帳としてその役割を果たすためには、戒名の他、命日は必須です。年の頃を記録するために、享年も記します。そしてたいていは、続柄と表現していいのでしょうか、その時の世帯主との関係も記します。基本的にはこんなものでしょうか。これ以外に書くことと言っても、思いつきません。例えば自分がお世話になった人であるとか、そういうことは書きたくなるかも知れませんが、後世に残すためであれば、他に記録を残すべきでしょう。何も過去帳に書き込まなくてもね。


ただ、たったこれだけでも、家系をたどることが出来てしまいます。本来なら過去帳を見ることが出来るのは住職だけなのですが、時には家系図を作りたいからと、閲覧を求める人もいますし、誰それさんのうちでおまつりされている仏様の中に自分と血縁のある人がいるはずなんだけれども、お戒名が分からないので教えて欲しいとか、そういう場合には断りづらかったりします。


本当にそのうちの人であれば、そのお宅の過去帳を他に書き出せばいいのですが(これなら閲覧にはなりません)、私なんかだと、この人ほんとにそうだったけかなぁ、という場合もあるわけです。(私は過去帳を見せてくれと頼まれたことはないですけど)
だからといって、あからさまに確認を求めるの、難しいです。おっさま、わしの顔も覚えとってくれんのか、となったらなんと詫びて良いやら。


そうならないように、たぶんその場になればあれこれ頭を巡らせて良い方法を考えつくと思いますが、私の場合は。


そのお宅の人を装った興信所の人だったりしたら、大変なことになるわけですこれは。だって嫌でしょ?知らない人が自分の家系を調べていたら。何の目的なのか、いったいどうするつもりなのか。そのことにお寺が、結果的に荷担していたなんてことになったら、お寺への不信感も出てくることでしょう。


私たち僧侶は、お檀家さんと信者さんと、そして全世界の人たち、生きとし生けるものすべての幸福を願うために、修行をし、仏教を伝え、また教えを行動で示すべく、生きているのです。ですから自分のしたことが誰かを傷つけることになっただなんて、耐え難いことなのです。


そうならないように、特に過去帳については、細心の注意を払って扱わなくてはならないね、というのが今日の昼食の話題の結論でした。


だったかな?その後も違い話へとどんどん展開していったので、うやむやな部分もありますが、私の考えは上に書いたことに合致していました。生きた人を記録するのが過去帳です。それは大切な記録です。でも、扱うのが非常に怖いものでもあります。今は副住職ですから、いくら自分で責任を取ろうしても最終的な責任は住職に帰属してしまいます。自分が住職になったとき、その責任は本当に自分の背中にのしかかってくるわけです。


そのことが、今は少し怖いですね。