書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

お年忌でプラスが出ればやる人が増える?

お年忌をやることの負担が大きいという話を聞きました。精神的にも負担でしょうが、金銭的にも負担があると思われます。ご先祖様あっての自分です。そのご先祖様のご供養ですから精神的な負担はさておいてもやっていただきたいですが、金銭的な負担はなるべく抑えたいものです。


御仏前などを皆さんお持ちになるでしょうから、その範囲内でお礼のおもてなしが出来るようにするべきでしょう。それには、参列された方々の理解も欠かせません。今までは料理も高額そうな物だったのに、今回は質素だ、などと文句を言うのは筋違いです。お年忌の後の席で高そうな料理を食べるなんて、要点がずれています。


故人を偲んで思い出話に花を咲かせ、また、今自分が生きていることのありがたさを感じるのが本来です。極端な話、少量のお酒とおつまみが最適なのかもしれません。下戸の私が言うのも何ですが。


今あるお年忌の形は、長い年月の中で時代の要請を受けながら形成されてきた物です。ひとつひとつに意味があります。しかし、その意味するところが、お年忌本来の趣旨とずれてきていると感じます。今一度原点に立ち返り、ご先祖様のご供養をすることが主目的であるということに、思いを返したならば、少し違った考え方でご法事に臨めるのではないでしょうか。


お互い様の精神もあって御仏前を出すわけです。皆さんの持ち寄った御仏前の範囲内ですべてが行えれば、少なくとも金銭的な負担は生じません。お布施をその中に入れるかどうかは意見の分かれるところでしょうが、お布施というのは修行の1つであり、自分の大切な物(この場合はお金)を施すという体験を伴わなければ意味をなさないと言うことは、忘れないでいただきたいです。


突拍子もない話ですが、お年忌をやって、プラスが出るのが当たり前になると、お年忌をやることに躊躇する人はだいぶ減るんじゃないかなぁと、思いました。たぶんそうなったらそうなったで、また別の問題が出てくるのでしょうけれど。


みんなやることですから、みんなが幸せになれるのが、良いと思いますよ。