書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

正太寺通信第3号に取りかかりながら

「葬儀とは」は出来上がってるのですが、「主張」になにを載せるか、まだ決まらずにいます。今までの物の焼き直しか、書き下ろしか。書き下ろしと表現するほど大げさではないですが。


ホームページをリニューアルしたいと数年にわたって考えています。掲載内容を増やそうとすると今の構成だとどうにもやりづらいのです。作る側もスマートに、見る側もスマートに。そんなホームページにしたいのです。


たぶん理想には辿り着けやしないのですが。
でも掲げるのは自由なのです。


こだわり屋で、そのくせ長続きしないので、細かなことにこだわってやる気がなくなって放り出す、というサイクルを無限に繰り返していました。
それをここでズバッと断ち切るべく、まず余分なこだわりを捨てようと、考えました。


ホームページというのは、簡単なページ記述言語で書かれています。どのブラウザにも「ソースを見る」というメニューが用意されていて、ホームページの実体を見ることが出来ます。この文字にはこの色を付けて、ここに画像を配置して、というようなことがいちいち書かれているわけです。ブラウザはそれを読み取り、解釈して、我々の目に写してくれているのです。


その「ソース」、こだわってかくとキリがありません。標準仕様も定まっていますから、それに則らなくては気持ち悪いですし、なるべく簡潔に書けば読込時間が短くなり、結果としてページが表示されるまでの時間も短くなります。
こだわると良いことずくしのような気がしますが、それをやるには、ホームページ作成ソフトなどというのは投げ捨てて、テキストエディタで暗号のようなソースを書いていくことになるのです。


それでご飯を食べていくなら良いのですが、私は片手間にやらなければならない身。こだわりたいのですが、限界があります。
そして今、そのこだわりを全部投げ捨ててて、標準仕様無視、簡潔に書くのも無視。ただただ簡単に楽にページが作れて、更新も楽、という道を進もうとしています。


使うソフトはAppleiWebワープロよりも自由に文字や画像を配置できて(それこそPhotoshopのように)、それをそのままWebに公開できるというソフト。副作用は、細かなところまで思い通りに出来ない、ソースに無駄が多く、ちょっとかじった人には嫌われる、というありがたい効能があります。


でも、それほど大きくないページです。読込速度への影響もあまりありませんし(そろそろブロードバンド前提にしようと考えています)、標準仕様からの逸脱も言われていますが、目も当てられないと言うほどではありません。それよりも、所要時間の短縮を一番に考えたいのです、今は。


簡単に作れる、といっても初めて使うソフトですから(本体に最初から入ってるソフトですけども)、ちまちまと試行錯誤の繰り返しではあります。途中でソースを眺めて、やっぱり公開しないという選択をする可能性もありますが、しばらく時間をかけてみようと思います。
ある日突然、リニューアルした正太寺てんぷるをお目にかけるかもしれませんので、お楽しみに。