修行時代からそうなのですが、お寺の掃除は、やることに意義があります。もちろんきれいにすることは大切ですが、広いお寺です、まずはやるということが一番大切です。修行僧の掃除はすごいですよ。休憩はありません。ちょっとでも休むと檄が飛びます。
たくさんの修行僧を少人数で監督するのですから、がんばっているかさぼっているかの見極めは、体を動かしているかどうかがポイントです。ですから、掃除をする方も、きれいにすることよりも、体を止めないことに集中します。掃き掃除や窓ふきは、一見の価値があるほどの素早さで体が動いていますよ。
そのようなわけで。正太寺の掃除も、やることに意義があるのです。拭いた窓に拭き残しが残っていたとしても。掃除機をかけたところの隅の段差にゴミが残っていても。そこは突っ込んではいけないのです。
皆様の温かいご協力を願っています。