書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

ほぼ寝て過ごす(療養中)

小学校の振替休日で子どもたちが家にいたものの、私は大半をベッドで過ごしました。ここ数日の喉の痛みがピークを迎え(ていると思いたい)、明日のお役僧に支障が出かねない状況でしたので、午前中に入出のお医者さんで薬を処方してもらい、子どもたちをお昼にマクドナルドへ連れて行った以外は寝てました。

インフルエンザの予防接種は、ワクチンが急に入荷しなくなったそうで、お医者さんに予防接種目的で連れて行った子どもたちは目的を失ってしまいました。覚悟を決めて行ったというのに。2、3日のうちには入るんじゃないかという予測でしたが、入ってみないことには分からないと。品薄傾向なのでしょうか。

薬を飲んで寝ていても、なかなか快方に向かっていく感じがありません。もはや、明日のお役僧の間だけ喉が持てばラッキーというぐらいに考えています。なんでこんなに治りが悪いのか。

先日も書きましたが、そもそも一月以上前からぐずぐずと続いています。いくら睡眠時間が短めとはいえ、こんなに続くのはいくらなんでも長いです。熱は出ないし。これだけ喉が痛いのに熱が出ないというのも不思議なことです。今までの経験からすれば、微熱ぐらいにはなるはずなのですが。

ともかく。体を休ませるしかありません。今週は草刈りをいっぱいやろうと意気込んでいたのに、出鼻を挫かれました。残念。

お見舞いって難しい

普段と違う環境だからなのか、お見舞いに行ってもなかなかいつもどおり話せません。そもそも今まではお見舞いに行くとなるとよほどの事態のことだったので、ねぇ。

師匠の見舞いを除けば、その前に行ったのは脳死状態となった友人の元でしたから。

これも一種の訓練が必要でしょうか。誰かが入院したと聞けばとりあえずお見舞いに行くようにすれば経験が積めるでしょう。が、ありがたくない存在になりそうです。

ふーむ。昔から引きずる人付き合いへの苦手意識が出てしまう。私を知る人は決して認めないでしょうが、私は人見知りで引っ込み思案でネガティブ思考で負のスパイラルをいとも簡単に発生させる能力者なのですよ。向かうところ敵なし。

いろいろ思うところはありますが、喉がカンカンでしんどいので、あまり悩まないことにします。悩まずに済ませられるようになったのは私の人生で一番大きな転換期と言えるでしょう。いろいろ考えて寝付けなくて朝、ということも昔はありました。それを変えてくれたのは本山での修行の最初のひと月ぐらいの間の出来事。

悩む暇もないほど1日に追われ、くたくたになり、ぐっすり眠る。それら全てを謎の肯定感で押し込められる。修行ですから、疑いなく全てを正しいこととして受け入れるわけです。事実正しいことなので、精神的な悪影響はないわけです。体にはあったけど。ブラック企業で同じような状況になると、諸々悪影響だらけのはずなのでさっさと逃げ出さないといけないのですが、当の本人は気づいてなかったり気づいていても逃げられなかったりしているので強引に引っ張ってあげる人が必要ですので、見かけた人は引っ張ってあげてください。もしくは助けを呼びましょう。

なんの話でしたっけ?

こんなだから毎日が新鮮で楽しいのです。1日1日、大切に暮らしましょう。

学習発表会のマイク問題

小学校で学習発表会。子どもたちはよくそんなに覚えられるなと思うぐらい、次から次へと場面転換していく発表をこなしていました。台本見ながらじゃなきゃ、私にはとても出来ません。子どもたちの記憶力はすごい。

学習発表会は子どもたちの成長度合いを見せる意味合いなんでしょうけれど、親目線で見ていると、先生の個性やセンスが大きく影響しているのが分かってしまって、なかなか素直に見れません。先生にとっては年間通してもかなり大変なイベントだと思います。大変お疲れ様でした。

そんな中でのマイク問題。娘がちょっとだけピアノ伴奏をしたのですが、マイクが入っていなかったんじゃないか疑惑が持ち上がりました。確かに娘の時だけちょっと音が小さかった。でも学校のピアノは一応グランドピアノ。普段の練習具合からして、マイクが入っていないからといって小さく聞こえるのがそもそもおかしいと思いつつ、聞いてくれていたピアノの先生もマイク入っていなかったでしょと連絡をくれたので、マイク入っていないと体育館全体に気持ちよく響かないものなんだなと思い直した次第。

本人に確認したら、マイクのスイッチはちゃんと確認したとのことで、とても疑問。前に使った子がオフにしてなくて、娘はスイッチを動かしたからそれでオンになったと思ったのかなぁと、今のところは他に答えが見当たらないのでそれで納得しています。

父親としてはとにかく無事に弾き終えてくれたのでそれで満足で、マイクが入っていようがいまいが全然構わないのですが。

マイクのスイッチ問題は、至る所で発生しますよね。なかなか難しい問題です。

葬儀の場でもしょっちゅうあります。導師のマイクが入っていないくて聞こえないとか。アンプ操作に慣れた司会者さんだと、控え室に持ってきてくれた段階でスイッチが入っていて、オンオフは司会でしますからそのまま使ってくださいと言われることもあります。これが一番間違いがない方法だとは思いますが、絶対オフにしますよ。信用していないわけではないですが、控え室の会話が外に漏れたら、良いことは一つもないですから。

こちらとしても、自分のタイミングでオンオフした方が、間違いがありません。それをしないと次の動作にスムーズに移れないというぐらいに、常にしている動作になっています。司会者さんの優しい心遣いに対応できないんです。

というわけで、葬儀が始まってしばらく後、傍にいた和尚がそっと導師に近づいてマイクの確認をする光景が、今後も続いていくことになるのです。高齢の御老僧が導師の際には、会葬者から見たらそれすらも儀式の一つの手順に見えるほどに自然な成り行きに見えるかもしれません。私も早くその高みに行きたいものです。

実はまだ風邪をひいている

そろそろ3週間前になってしまう、お祭りで発熱まで至ったぬるい風邪ですが、実は今もぬるいまま続いています。

思い返せば10月に入った頃から喉の違和感を葛根湯や響声破笛丸で抑えつつ、抑えきれなくなってちょうどお祭りの日に熱が出ることになったのですが、その後も完治した実感はなく、喉の違和感をどう凌ぐか、毎日チャレンジが続いています。

インフルエンザの予防接種のために内科にかかり、その時は鼻水も出ていたのでそれなりの薬を処方してもらってきたのですが、5日分を飲み切ってもやはりすっきりせず。あれからさらに1週間は経過します。

風邪の症状が出ていて辛いというほどではなく、ただ喉がすぐに痛くなるという状態。それもひどい痛みではなく、ぬるい痛み。でもお経を読んで喉を使うとはっきりと悪化傾向がみてとれ、無理をすれば発熱まであっという間に至りそうだとビクビクするぐらいの境界線をフラフラ歩いているような感じです。

多分、もっと寝れば治ると思うのですが、なかなかそうもいかないので困ってしまっています。

いくら睡眠時間が短くても、こんなに治りが悪いというのも解せません。老化現象ここに極まれるという感じでしょうか。ウォーキングも再開できないままだしなぁ。

などとぐちぐち考えている間に30分も歩いてくれば治るかもしれないんですけどね。でも喉が痛いときの運動は、その軽重にかかわらず症状を悪化させた経験が何度もあるので怖いんです。

55歳未満の曹洞宗僧侶が必ず受ける研修、現職研修会にて

現職研修会の講師さんが自死をテーマに講演をしてくださいました。

以前Twitterで見かけた、死にたくなってる友人を救うために取った行動というのを思い出しながら話を聞いていました。

その時に見た方法は、とにかく友人に自分と会うことにさせること。頭ごなしになろうとも、死ぬ以外の行動をとらせることが肝要なのだと思います。

ツイート主はすぐに仕事を早退して友人のもとに向かったそうです。何者をも差し置いて友人のもとに駆けつけた、その行動が死から救う第一段階になったようでした。

相手によって状況は千差万別あるでしょうが、一刻も早く相手に会う、会うという予定が立てばひとまず死に進まなくなる可能性が出てくる。

僧侶というのはそうした行動をとるのに最も適した立場にあると思います。

宗務所管内でも以前、自殺相談ダイヤルを受け持つべく研修が開かれたことがあります。その後の状況を見るに、新たに直通の携帯電話を持つに至った僧侶はいないようですが、家族がいるとこういう時に身軽に動けません。

私も当時は子供達が幼かったため、やれる状況にある人にお願いするしかないと思っていました。宗務所に勤務している時代でしたから、そちらに時間を割くので精一杯でした。

いまは子供達もだいぶ大きくなり、宗務所からも解き放たれたので、家族の理解も得やすい状況が出来つつあります。

直接人の命を救えるかもしれない活動は、私が求めてきたものでもあります。

自信はないです。思いとどまらせることが果たしてできるのか、安易に電話を受けて良いものか、とても悩みます。自分と話したがために、死を選ぶという結果も起こるかもしれません。その時、自分は耐えられるだろうかという不安もあります。

でも、僧侶という肩書きは、世の中にどんどん活用してもらわなきゃならないとも思っています。

正太寺として出来る行動を、ちゃんと取っていこうと思います。あの研修会、どこかでやってるかなぁ。

今日は御朱印を求めるお参りの方が多かったなぁ

3組みですけどね。遠州音霊場会独自の御朱印を押すだけの御朱印帳を持参された方がお一人、手書きの御朱印帳を持参された方が二組。以上。

それでも正太寺としては多いのです。普段はゼロ。多くてお一人ですからね。

お帰りを見送りながら本堂入口から視線を前へ向けると、見事なまでの秋晴れと、そこに映える浜名湖がありました。今日はそれまでほとんど外に出ていなかったので気づかなかったのですが、最高の景色でした。

この景色は、たいていのマイナスな事象を吹き飛ばしてくれる力があります。

なんで写真を撮らなかったかなぁ。

でも写真では伝えきれないこの景色。今までに何枚も何枚も写真に撮ったのですが、綺麗に取れることもあるんですけど、どうしても目で見た以上の写真にはなりません。私の腕もあると思うのですが、ともかく伝える術がないのでぜひ直接見に来てください!

直接体験してもらう以上に良い伝え方というのは存在しませんから。ぜひぜひ。季節を問わず、天候を問わず、正太寺から見る浜名湖は特別です。みんなに見てもらいたいです。

ついでに本堂にお参りして、御朱印もどうぞ。(決しておまけではない)

遅れていた月末締め業務

会計の月末締めが遅れていて、ようやく取り掛かれました。現金残高が微妙に合わなくってずっと調べています。どうなってるんだ。

現金収入はお布施のみ、現金支出はほとんどない、それなのに残高が合わないってどういうこと。原因を突き止めるのに時間がかかりそうです…

クラウド会計ソフトを使うようになってから、口座の出し入れとカードの利用履歴が自動で取り込まれるようになったので、会計業務はかなり楽になりました。なんと言っても数字の打ち間違いがありません。これが極力口座振替やカード支払いを利用している最大の理由です。自分の仕事を直接減せしてくれますから。

そんな会計ソフトの提供元から、アンケートが届いていました。ブラウザでアクセスして数問のアンケートに回答するだけなのですが、抽選でギフト券が当たるということで、奮って参加してみました。

その項目内に、コスト削減効果をざっくりと回答するものがありました。私の回答は、削減効果無し。

業務時間の削減には繋がっているのですが、私の業務時間が短くなっても、残念ながらコスト削減には繋がらないのです。収入、お布施のみですから…

他に収入につながる業務をしていて、そちらに時間を割けるようになったとかなら、コスト削減効果が出たということになるのでしょう。切ない話です。

ああ、でも、個人的な懐事情としては、頭痛の回数が減って薬を買う頻度が減ったとか、そういうのはあるかもしれませんね。積もり積もって将来的な大病を回避しているかもしれないので、それはもうプライスレスですよ。素晴らしいことです。

企業にとっては、会計業務の末に出てくる数字というのは大変大きな意味をもちますが、お寺にとっては家計簿の延長と大差なく、無駄遣いの抑止効果があるくらいでしょうか。現在の正太寺は無駄遣いもしていないと言い切れる状況ですので、ただただ負担でしかありません。でもやらないわけにはいかないし。ああ、ああ、ああ。