書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

公式サイトを更新しました 〜せっかくなのでお布施の話も〜

昨日、寺報「正太寺通信」を発送しました。その内容に合わせて、今日は公式サイトの更新作業を行いました。

www.shotaiji.or.jp

4週間の入院の間にこれからの正太寺について色々思いを巡らせました。何周も何周もぐるぐる回って辿り着いたのは、結局のところ、以下の2つ。

檀家さんとの距離をもっと縮めたい 安定経営には収入が足りない

そこを解決するには、檀家さんのお宅へ行ってお経を読む機会を増やすことと、檀家さんがお布施をする場面を増やすこと。

お布施というのは、お布施をする側が主体的に行うものでなくてはなりません。お寺からできるのは、要求ではなくて、こういう時にお布施をするんですよ、という教えです。仏教について詳しいのは僧侶。その僧侶がお布施についてしっかりと語れなければ、檀家さんをはじめ、信者の皆さんは正しくお布施をする機会を失ってしまいます。

寺院を維持していくのは住職にとって何よりも大切な事柄ですので、維持に必要なお金を募ることになんら後ろめたい思いはありません。お金以外のもので寺院が維持できるのであればそれを求めます。現代ではお金が最も効率が良い、それだけのことです。

檀家さんは軒数は限られていますから、本当でしたら檀家さん以外の人たちからお布施を得られる方がいいのです。が、正太寺には今のところそのためのいい手立てがありません。まずは檀家さんから少しずついただいて、基礎体力をつけるタイミングだと判断しました。

お寺の貯金が何にもない状態をなんとかして抜け出さないと、裏山を維持するための大規模な伐採作業もできません。実は深刻な状況なのです。

色々考えた末、新しく月経(つきぎょう)を始めることにしました。毎月お経に伺うんです。実施しているお寺さんが多いと思いますが、正太寺では行っていませんでした。希望制ですので果たして何軒のお檀家さんが申し出てくれるか分かりませんが、10軒、いや、20、、、30軒ぐらいにならないかなぁと妄想しています。それぐらいあると貯金が貯まり始めそう。

もう一つ、お墓経のみのご供養を受け付け始めました。簡単に掃除をして、お墓経を勤めて先祖供養をします。遠方のお檀家さんは年に一度しかお参りこれないという方もいらっしゃいます。お墓のことが気になった時に、ちょっとお掃除をしてお経を読んでもらえたら、少しは気が楽になるんじゃないかなぁ、と。そもそもお墓の存在がマイナス方向に働くこと自体があってはならないこと。お墓があってよかったなと心底思えるように、お手伝いをしたいのです。

どちらもお布施を納めてていただきます。私も特別な修行として月経やお墓経を行いますので、お檀家さんにもタイミングを合わせてお布施の修行をしていただきます。何もなしでお布施の修行(布施行と言います)を行うよりは、「住職もお経を読んでくれたし、我々も」と思っていただいた方が、修行しやすいでしょう。

ここまで読んでお布施について若干の違和感を覚えた方、いませんか?もしかして、お布施のことを「お経料」、つまり、お経の代金だと思っていませんか?

違いますよ、お布施とは修行です。自分にとって必要なものを、そのものに執着を抱かずに差し出す。そういう修行です。

一番身近なところでは、お賽銭、これも布施行です。賽銭箱に喜捨箱と書かれていることがあります。正太寺でも喜捨箱と書かれた賽銭箱が一つありますが、お賽銭を入れる箱というのは、喜んで捨てる箱、なのです。大事な大事なお金を、喜んで捨てるのです。捨てたのですから、そのお金がその後どうなろうと気にも留めない。それが布施行です。

例えば、毎日お賽銭をあげに通っていたお寺の住職が、犯罪を犯して逮捕されたとしましょう。その時、あなたの大切だったお金は、犯罪をするような人によって使い道を決められていたことになります。お賽銭の使い道に気持ちが残っていたら、「あんなお寺にお賽銭をあげるんじゃなかった。毎日のお賽銭が無駄になってしまった。」という思いに繋がってしまいます。

しかし、捨てたものとして気持ちをスッパリと切り離していれば、犯罪者となった住職がお寺とは全然関係のない、自分の好きなものを買うために使っていたとしても、良いも悪いもいささかも思いを生じることはありません。毎日の布施行は一切無駄にならず、ただただ修行を積むことにつながっていくのです。

お布施として袋に包んでお寺に納めるような場合にも、そういう気持ちになることが大切です。そして、そういう気持ち、つまり自分の修行として包んだものであれば、中身の金額はいくらであっても構わないのです。

とはいえ、正太寺にいただいたお布施は、正太寺の明るい将来につながるように使っていきますよ。それが当たり前です。

さて、お便りの反応はどうなるでしょうか。問い合わせぐらいはあるんじゃないかと思ってるのですが・・・形にならなくても、檀家さんが心平穏であることを常に気にかけている私の気持ちが、伝わってくれたらいいなぁと願っています。もちろん私だけじゃなく、師匠も、妻も、お寺の運営に関わるもの皆、同じ気持ちですよ。

——————————

基本的に毎日書いてます。 何か共感できる内容がありましたら、ぜひSNSでシェアしてください。喜びます。
noteも結構書いてます
Bloggerにブログも書いてます。こちらは数日置き更新。「もばいる坊主