書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

給料なりのサービス

ここ数年、よく言われるようになったことだと思うのですが、日本のサービス業のサービスが良すぎるという問題。

例えばレストラン。ファミリーレストランなのに、もっとお値段の高いレストランと同じような接客を受けられます。日本にいると当たり前のことに感じますが、私の数少ない海外経験であるイタリアだって、お値段レベルでお店のサービスは全然違いました。

面白かったのは、団体客として入ったレストランで事前にスパゲティが注文されていたのですが、まず空のお皿が配られて、続いて店員さんが大きなトレイに入った出来立てのスパゲティをトングで配って回るんです。

もちろん目分量。

私はしませんでしたが、多分ちょっと少なかったりしたら、少ないよと言えば増やしてもらえる、そんなサービスでした。高級店のサービスではないけれど、イタリアの中でもやや南寄りの陽気な人たちの多いエリア。とても楽しかったことを記憶しています。

あのお店独自のサービスなのか、それとも他のお店でも団体客への対応として一般的なのかは分かりませんが、特殊なサービスなら多分添乗員さんから事前説明があったと思うのです。それがなかったということは、ごくありふれた光景なのでしょう。

日本であんなことをしたら、周りの席と比べて多いだ少ないだとワーワーなりそう。日本人旅行客がイタリアで受けたサービスだから受け入れられただけで、日本ではそれを目玉とでもしない限りは受け入れられなさそうです。

少なくとも、私と同年代の人間までは。大きな主語にしてしまって申し訳ないですが、大勢としてはそうなんじゃないかな。

良いサービスを受けたかったら高い料金を払うべき。この考えが、特に日本では弱い。飲食業のサービスというものはこういうものだから、料金が高かろうか安かろうか、この程度のサービスをするべき、というものが世間の共通認識として厳然と定まっていて、そこから外れると途端に批判をされる。

悪いことではないとは思います。海外からの観光客に感激されます。日本の良い面として。

ただ、でも、労働者の立場からしたら、良いサービスを求められるのであれば、それなりの給料でもてなされるべきであって、そのためには原資となる売上を上げなくてはならず、結果として料金に反映されなくてはなりません。

ファミリーレストランで店員さん同士がしゃべっていても許されるべき。なぜなら、お客はしゃべっているんです。店員さんに静かにして欲しかったら、自分たちも静かに食べるであろう高級レストランへ行くべき。

お客は賑やかにしているのに、店員さんだけがシーンとしていたら、それはちょっと光景としておかしいじゃないですか。現実としては店員さん同士がしゃべっていますけれど、なるべく目立たないように気を使っているように見えます。気を使う必要もないよ、というのが私の考え。

もっとも今は感染症のことも考えなくてはなりません。おしゃべりしすぎな店員さんは受け入れられる余地は少ないかも。そこは働く側も臨機応変に。

そうしてもし、日本でも、値段なりのサービスが一般化した場合に、そこが我々が求めている幸せな世界なのかどうかは疑問が残ります。どう考えても今の方が良いに決まってる。

そこで大事なのが、感謝の気持ちです。700円のハンバーグ(ライス無し)を頼んでも変わらず接客してくれる店員さんに感謝をして、そのサービスをありがたく受けるんです。

間違っても、700円しか払っていないのに、俺は客だぞとふんぞりかえらないこと。そこさえ間違えなければ、お安い料金でも良いサービスが受けられて、より気持ちよく美味しくご飯が食べられます。

ちょっとしたことでサービス内容に文句をつけてお客様は神様だとばかりに横柄な態度を取る人が増えるたびに、今の幸せな世界が壊れていきます。もしもそういう人を見かけたら、ぜひ店員さんを守ってあげましょう。この世界を守るために。

今日は飲食店にフォーカスして長い日記を書きましたが、他の業種でも同じようなことが多々あります。そこに心地よさを感じているのでしたら、それを守るためにはどうしたら良いか、常々考えるようにしなくてはなりませんね。

加えて、世の中の給与水準が、もう少し上がると良いですね。日本の経済規模があってなお、300万円ほどが年収の中央値だと言われています。未だ世界第三位の経済大国のはずなのですが・・・十位ぐらいに下がりました?年収で比べたら世界何位ぐらいなのでしょうか。ねえ。

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