昨日は参列する側でしたが、今日は儀式を進行する側です。昨日は良い刺激をたくさん受けましたので、今日の法事には気合いが入りました。
その現れとして、ちょっと法話が長かったかな。だらだらと長くならないように気をつけてはいますが、聞いている側はどうだったでしょうか。心配です。
最近は、「同事」という修行についてお話しすることが多いです。昨年まで、たぶん2年間ほどだったと思いますが曹洞宗の布教のメインテーマだった言葉です。
仏教の行いというのは1つのことだけを話してもまとまりがなくて、あらゆることが結びついていますから、ついつい他のことも話したくなってしまうのですが、なるべく話が膨らまないようにお話ししています。お釈迦様は、そういうのが上手だったんでしょうね。
「同事」は修行と表現するより、心がけと表した方が良いのかも知れませんね。その「心がけ」が修行であるわけですが、一般の方の共通認識には無いつながりでしょうから。
「同事」をお話しするのは、何回やっても難しいです。難しいお題であっても、その場の求めに応じてさらっとお話しできるようになりたいものです。