書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

お祭り2日目

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一応、本祭りということになるのでしょうか。細かなことはよく分かりませんが、お祭りも今日で終わり!ということで高まる気合いというのは感じられました。


昨日は白い顔でお酒を配っていた若い衆が、今日はもう顔が赤かったから。


入出のお祭りは、私の印象では、よそ者には近づきにくいと感じています。私は地元民ですが、それでも距離を取りたくなるときがあります。概ね、お酒の量と、それに伴うはっちゃけ加減が原因ですが、それ以外にも、何かこう、踏み込んでいけない人的ネットワークによって形作られた境界線のような物を感じるんですよ。


その中に一歩入ってしまえば楽しいのでしょうが、ほんとに地元に密接して生活していないと入りづらい、そんな感覚を得てしまうのです。


私の場合ですと、高校は地元からは1人しか進学しなかった工業高校、この後は大学進学して退学の近くにアパートを借りていました。お祭りには帰ってきていましたが、高校の頃から太鼓を叩いていた同級生とは連絡も取らず、遠目に見ているだけでした。


その後は名実共に僧侶となって、お寺の立地は村はずれであり、山車も参道入り口までは来ますがお寺にいれば山車の雰囲気も伝わってこないような場所です。山の中腹にあることもあって、なんとなく、お寺は少し高いところにある(場所的にも気持ち的にも)という見られ方をされていると感じることもありました。いやまあ、そういう捉え方をするのは、普通のことだと思いますが。同じ人間だよ、と思っているのは僧侶の側だけのことで。


でもそうなると余計にお祭りに絡みづらい。二十歳を超えてお酒を断る理由も無くなってしまったので、大量のお酒に囲まれている場所からは逃げ出したい私としては、がんばって接近していくモチベーションも高まらず、とうとうこんな年齢になってしまいました。


同年の付き合いが出てきたおかげで、ありがたい事にお祭りに来いよと誘ってもらえるようになって、来年はいよいよ今まで近づけなかった境界線の中に足を踏み入れることが出来ます。それはもうほんとに、ありがたい事なのです。


それとは別のこととして、私が感じていた近寄りがたさ。これは私だけの特別な感情では無くて、他にも感じている人がいるかも知れないんですよね。今年もいつも通りに賑やかに行われているお祭りですが、力が先細っていくのは避けられない状況です。だって、過疎化・高齢化がどんどん進んでいるのですから。


その中でお祭りを続けて行くには、目に見えない壁、おそらく内側にいると感じることも出来ないその壁を、なるべく取り払っていかないと、お祭りそのものが出来無くなる日が、いつか来てしまうんじゃないかと心配なのです。


私は入出のお祭りが大好きです。だからとても心配です。私だけが近づきがたいと感じていただけなら、良いんですけれど。