書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

駒大苫小牧

久しぶりに時事ネタを。時事ネタと申しましても、駒澤大学附属苫小牧高等学校駒大苫小牧)は曹洞宗系列の学校です。言わば、身内の話題でもあるんです。地方の一時院の副住職にとってはさっぱり関係のないつながりではありますが。


それでも宗門の学校でありますから、自分だったらこうするのになぁ、と思う点もありますし、不満なこともあります。そのあたりをつらつらと。
あくまで私個人の意見ですので、そういう視点でお読みください。


まずは、連帯責任というものについて。
修行に行くと、同じ年に修行にあがったもの全員が仲間として修行します。一人がなにか叱られるようなことをすれば、全員一緒に叱られます。私の時は70人ほどいたと思います。一人がなにかしただけで、70人が叱られます。そういう世界です。


でも今回のケースは、修行の世界の話ではありません。卒業生と、学校の問題です。なぜ一部の生徒が所属していた部活の後輩までも巻き込むのか、疑問です。普通に考えたら、親と学校の監督責任でしょう。連帯責任というのであれば、責任を負うのは親と学校であり、部活の後輩は関係ありません。


18歳というのは微妙な年齢であり、一個人として尊重もしなければなりませんし、責任も負わなければなりません。しかし、20歳未満を未成年とし、未成年の飲酒・喫煙が禁じられている日本においてそれを犯したとなれば、責任はまず保護者たる親にあるわけです。


また、社会一般的には彼らの所属する組織にも責任は発生しますので、卒業生をまだ駒大苫小牧の生徒であると捉えるのであれば、学校に責任があると言うことでしょう。卒業証書を手にした者が在校生と同じ扱いというのには私は疑問を感じますが。


だから私は、なぜ春の選抜辞退という話になるのか、分からないんです。そして、それが当たり前のこととして考えられている現状が。出場できなくなった生徒が可哀想という感情論ではなく、ふつうに考えて、です。


報道によれば、高野連内部でも出場辞退まではしなくていいのではないかという考えの持ち主もいるというように聞きました。責任の取り方が甘い時や普段の指導方針にはやたらと口を挟んでいるように見受けられますが、こういう時にはなにも言わないというのは、余分なことを言って巻き込まれたくないというような意志が感じられてしまいます。私、穿った見方をしすぎでしょうか。


高校生は大人の管理下に置かれているんです。はみ出してしまっている人たちもいますが、大人は管理下に置こうと必死なわけです。
それならば、対外的な責任を取るのは大人であるべきです。


彼らはしてはいけないことをしました。だから、それ相応の責任を取る必要があります。ただ、なぜ後輩までもが責任の一端を担わされるのかが、納得できないんです。
事件を起こした彼らは大会には出場しません。つまり、辞退しても彼らの責任には関係ないのです。親も同じです。そうすると、学校側の責任をかぶせられているということになりますよね。なぜそんなことをしなければ、ならないのでしょうか。