書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

霊場会のお仕事

昨日の朝、霊場会の事務局長さんが訪ねてみえまして、いくつか仕事をいただきました。すぐにやらなければならないもの、少し時間のあるもの、いろいろとありますが、とりかかったならばなんでも全部片付けたくなる性分なので、今日全部片付けようと意気込んだのです。


仕事の多くはいわゆるビジネス文書の作成。拝啓やらで始まり、時候の挨拶を書き、本文を書いて結びを書く。慣れればなんてことはない作業ですが、私はまだいろいろと調べながら書く段階です。


でも最近は便利のもので、パソコンのワープロソフトで書きながら、インターネットで時候の挨拶なども調べることができてしまいます。拝啓、謹啓、などのルールもちゃんとどこかしらのホームページに載っていて、すぐに調べられます。一番大事な本文に集中できて喜ばしいです。



だけれども、時候の挨拶というのは、ほんとはもっと大切に扱わないといけないんですよね。四季の豊かな日本だからこその作法だと思いますし、よく見かけるような文ではなくて、自分で考えられるようになれば、相手に与える印象もまた違うことでしょう。自分で作ると、ほんとうにこれで失礼がないのかどうか、という点がとっても心配になってしまうのですけれどもね。


自分で自在に作れるようになったら、かっこいいですよね。節句もふまえていないといけませんしなかなか大変ですが、そろそろそれぐらいの教養は身につけたいものだと思います。和尚って、そういうの出来そうな存在だと思うんですよ、一般的には。その期待を裏切らない和尚に、なりたいんです。


ちなみに私の愛用のワープロソフトは、一太郎。日本人なら一太郎。ワードよりも無理が利くソフトだと思ってます。マックには一太郎がないのでワードを使ってますが、いまいち手になじまなくてしぶしぶ使うという感じです。わがままですかねぇ。