書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

CDで聴く音楽

2年ほど前に、かの有名な携帯音楽プレーヤーiPodを購入して以来、CDで音楽を聴くということがほとんどなくなりました。ここ数ヶ月では一度もありません。レンタル屋さんで借りてきてはパソコンに取り込み、iPodに転送して聴く毎日です。


車に乗ってもiPod。デッキの外部入力端子を引っ張り出して、iPodを繋いで聴いています。何が便利かって、手元にあるCDや今まで借りてきたCDが、iPod一台に収まり、いつでも全部聴けてしまうことです。車にはCDチェンジャーというものがありますが、それでも聴ける曲数はたいした数ではありません。全部聴ける、好きなときに好きな曲が聴ける、というのはなかなかすばらしいことです。どのCDを持って出かけようとか考えなくて良いんですから。


そんなに便利なiPodですが、CDと比べて私が一番感じる足りない点は、CDを挿入するという行為が出来ないことです。レコードに針を乗せるときと同じように、CDをトレイに乗せる、挿入口に挿入するという行為は、これから音楽を聴くぞという儀式みたいなものです。これがあると、音楽と真摯に向き合うという気持ちになれるんです。大切に聴く、という感じかな。


それがiPodになってしまうと、なんとなく垂れ流しのような感じになってしまって、それが一番寂しいところです。便利で便利で、もうCDの使い勝手には戻れないと思っていますけれどね。


便利だけで選んでいくと、なんだか味気ないものになってしまう。それはCDとiPodの関係だけでなく、他のことにも言えるのかもしれません。生きていると選択を迫られる場面が多々出てきます。そんなとき、たとえば楽だからという理由だけで選んだりしないように、心がけていきたいものです。