書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

テレビ電話普及委員会

しつこいですが、テレビ電話の普及を願っています。携帯電話一つでテレビ電話ができるようになりました。それも一分いくら、という呪縛から解き放たれて。もっとも最近では、動画サービスの隆盛を受けて、光回線であってもトラフィックが増えすぎて、自宅に引いたインターネットであっても、月額固定料金で使い放題という料金体系がいつまで続くか怪しい状況があるようです。携帯電話のようにある程度以上使うときには追加料金、ということになるかもしれません。

それであっても、テレビ電話は魅力的です。表情を見ながら話せるというのは、それだけでいろんなトラブルを回避できます。しかしパジャマ姿では電話に出れないとか、いくらでも思いつく受け手側の問題でなかなか難しいわけです。

でも、それを逆手にとって、電話に出れない状況というのは当たり前にあるものだという認識を広めるのもいいんじゃないかと思います。携帯電話の普及のせいで、24時間いつでも電話が通じてしまう世の中になってしまいましたが、よくよく考えるまでもなく、それはとても不健全です。なんで上司からの電話に24時間対応しなくてはならないのか。せいぜい、大学で一人暮らししているときに友人たちが真夜中に電話をかけてくるシチュエーションぐらいしか、許される状況は思いつきません。

テレビ電話というのは、その人の家に訪問するのにも等しい電話です。夜、あまり遅い時間はそもそも失礼。朝早くも失礼。それが当たり前です。これは音声だけの通話であっても当然の認識だと思うのですが、なぜか許されると考える人が多いんですよね。私も仕事人間ですので、真夜中に電話が鳴ったら半ばワクワクと出てしまうたちですが、普通に考えておかしい。

仕事を終え、家に帰り、家族だんらんを楽しんでいるところに上司から呼び出しを受けるなんて、有り得ないじゃないですか。なぜか今はそれに応じなければ失礼、という変な風潮になっていますけれど。

テレビ電話が標準になり、音声だけの電話はよほど親しい間柄でなくてはかけないような認識に変われば、そうした家庭の平和を壊すか、会社での立場を壊すか、二者択一を迫られる事態も自然と避けられるわけです。

良いことじゃないですか。スマホのすごい深いところの設定をいじらないと音声だけの通話はかけられないようにしてしまいましょう。テレビ電話以外はかけられないようにしてしまいましょう。安易にクレーム電話をかける人も減らせます。

ああ、国際電話だけは別ですね。時差がある場合は、仕事が滞りますから、それはさすがに競争力がなくなりすぎます。

などという具合に例外事項が次から次へと出てくるかもしれませんが、それでも私は、テレビ電話標準の世界を見てみたいです。離れた場所にいる相手と、顔を見て話す。たぶん、電話を作るときに最初に願っていたのは、そういう電話だったんじゃないかなと思います。勝手な思い込みですけど。